解剖学実習を終えて
小出進
医学と医師が最初に歴史に登場するのは、メソポタミアの粘土板である。そこに書かれた楔形文字によると治療には多くの薬剤も使われたが、宗教と魔術の色彩が濃く、患者は罪を懺悔し医者は呪文で病魔を退散させたという。医学の一分野である解剖学にも長い苦難の歴史がある。作業に疲れた時、泡沫のように浮かんで消えたのは、解剖学の歴史に名を残す人々の知識欲にとりつかれた姿だった。
解剖学の父と言われるベルギーのペラジウスは夜陰に乗じて絞首台や墓地から遺体を盗んだし、我が国最初の腑分けを行った山脇東洋も人体解剖の許可を幕府に請願すること十五年、ついに宿願を達したという。彼らにとって解剖というものは文字通り人生をかけたものだったし、正確な知識を得る前に、何よりも社会の偏見や風習とたたかう必要があった。当時の人々にとって、これらの先駆者達の姿は悪鬼羅刹にも見えたことだろう。学問の世界で名をなした人間につきまとう名声や栄光といった華やかさよりはむしろ、人間の業を極限にまでおしすすめた結果としての、どこかしら陰滲な風景である。
しかし現代の解剖実習には、宗教や魔術の入りこむ余地はもちろん、ペザリウスや東洋が感じたであろう神秘性も無く、すべての器官、すべての構造物が逐一科学の言葉で説明されていき、人間の善と悪の分水嶺に立つ勇気を持ち得た先人達が積み上げていった知識の集積物を、時に慨嘆し、時に嘆息しつつ確認していく作業は、むしろ淡々としたものだったといえるかもしれない。