解剖学実習にて学んだこと
池澤育世
実習が始まるまで、私は生について死について深く考えるのを避けていたような気がします。考え始めればきりがないし、身近な人の死に直面したことがないせいか、自分にとっては遠い問題のように思えていたからです。しかし、実習が始まる際、このままの自分が生前の尊いご意志で献体された方にメスを入れるのは失礼にあたると思い、生と死について自分なりに考え、実習書を読み、実習に備えたつもりでした。しかし、いざご遺体を前にすると頭は真っ白になり、生前は家族から「おばあちゃん」と呼ばれていたであろうこのご遺体に、その家族の知らないこんな自分が触れていいのだろうかと戸惑いました。この実習に最善を尽くすことがご遺体や、そのご遺族の意志なのだと強く自分に言いきかせることでやっと実習を進められたことを覚えています。
実習が進むにつれ、人体の構造の巧妙さに驚かされました。人体に、意味のない不明なものはないのです。それぞれがそれぞれの役割を果たし、それによって人間は生きているのです。当たり前のことかもしれませんが、毎回の実習の中でそのことを実感しない日はありませんでした。そして、それまで教科書で学んだ断片的なことが一つにつながったような気がしました。