また、ご遺体に触れる度に、その方の歩んできた人生に触れているような気もしました。私たちの何倍も人生をこの体で生きてこられ、人生の最後に献体という形で私たち学生に勉強する機会を与えていただいたことに感謝すると同時に、その方の人生に少しでも関わることができたことを嬉しくも感じました。
実習が終わりに近づくにつれ、まだまだ勉強し残した事の多さに焦り、実習が終わってほしくない思いでいっぱいでした。学び取るべきことはまだ沢山あると頭ではわかっていても、体がついていかず、甘えてしまうことが度々ありました。そのような時は、ご遺体から何も返ってくるものがないのです。そして、実習の終わりの黙祷の際、申し訳ない思いでいっぱいになるのです。しかし、予習をして目的意識を持って実習に臨むと、それだけご遺体から返ってくるものは多く、黙祷の際も「ありがとうございました」と素直にご遺体と向きあってそう心の中で言えるのです。このことから、学ぶということは与えられることではなく、自ら積極的に得ようとしなければ得ることができないものであると感じました。
実習を無事に終え、その経験をこれからの人生に役立てていこうとした矢先に、叔父の突然の死に直面しました。解剖させて頂く側から一変して、遺族の側に立ってしまったのです。叔父を前にした時、私は涙が止まりませんでした。叔父の人生に関わったすべての人々が涙を流していました。私たちが解剖させて頂いた方も、こんなにも死を惜しまれ、悲しんだ人々があったことを痛感し、ご遺族の方々の尊いご意志に深く感謝しています。