しかし実際に実習に望むとそのような気持ちは消え、その代わりに、遺族の方々が身内を看取るような気持ちで、最後まで誠意を持って実習を行おう、という責任感が生まれた。そして毎回の実習の際にも、その気持ちを忘れないように心掛けた。
解剖学が他の科目と異なる点は、人体の構造について学ぶということの他に、人間が人間自身について学ぶ、という所にあると思われる。長い歴史の間に、古くから人体解剖が行われ、数多くの解剖図譜が描かれたのは、昔から人は自らについて知りたいという気持ちがあったからだと思う。このような気持ちが医学の発展に貢献したのは勿論のこと、様々な学問にも影響を与えたのだろう。
同様のことは、解剖学実習においてもいえると思う。実習では、献体された方々は「無言の教授」として、何も言わないけれど沢山のことを私達に教えて下さった。さらに教科書に書かれていることについて学ぶ他に、佐藤学長先生から、ありがとうと云う感謝の心を持つこと、はいと云う素直な心を持つこと、私がしますと云う奉仕の心を持つこと、おかげさまでと云う謙虚な心を持つこと、すみませんと云う反省の心を持つこと、の「日常五心」など、教科書の範囲以上に大切なことを教えていただいた。
実習期間中だったある日のこと、たまたまある方の財布の中に、カード類に混ざって、某医科大学の献体登録症が入っていたのを目にしたことがあった。この時、献体というものが実は身近な所にあるのだと実感したのと共に、この方もいつか私達と同じような医科・歯科学生に対して、様々なことを教えて下さるのだな、と感動したのを覚えている。