また、我が国の巡視船が正当な継続追跡権に基づいて公海上で被疑外国船を拿捕した場合、我が国の公務員の職務執行に対する被疑者の暴行行為が被疑外国船舶内で行われた場合と日本船舶内(巡視船内)で行われた場合とで、巡視船単位で行われる「公務の円滑な遂行」に対する侵害の危険性が実質的に異なるとは到底思われない(43)。したがって、実質的結果説を徹底すれば国外で行われた行為でも国内に法益侵害の危殆化をもたらすことがありうるとする斎野説に至るのが自然である。しかし、それは現行法の解釈の限界を超えると共に、国家の領域主権に基づく場所的管轄の著しい拡大を招く恐れがある点で問題を残しているように思われる。
4. 遍在説と国境を越える犯罪
(1) 遍在説の根拠
ところで、最近我が国で主張されている結果説は、その理論的根拠として違法性の本質に関する結果無価値論をあげている。たしかに、刑法は基本的に法益を保護するために存在するので、法益侵害ないし危険が発生した場所が犯罪地であるとする議論は一見すると極めて正当なように思われる。しかし、刑法は、法益保護という目的を人間の規範心理に働きかけることを通じて実現するものである(44)。したがって、結果無価値論をとっても、犯罪の成立要件としての違法性の評価の対象は人間の行為であると言わなければならない。結果無価値論は、ある行為が違法であるとの評価の根拠をその行為が法益侵害(ないしその危険性)を惹起した点に求める見解である。法益侵害の結果それ自体が違法なのではなく、法益を侵害した(あるいは法益を危殆化した)「行為」が違法なのである。また、行為無価値論は、ある行為が違法であることの根拠を社会倫理規範違反に求めるが、この立場からも、社会倫理規範に違反すると評価された「行為」が違法なのである。したがって、違法性の本質に関するいずれの見解に立とうが、違法な行為を行った場所が犯罪地であるという行為説を全面的に否定することはできないと思われる、少なくとも、結果無価値論と結果説が直結するわけではないのである。