山口教授が検討されている一つ一つの事例処理の妥当性についてここでは検討する余裕はないが、当該刑罰法規がその立法趣旨から我が国の法益侵害を処罰しようとするものである場合は外国法益を侵害する行為の(我が刑法の)構成要件該当性は否定すべきとされる基本的視座は正当であると思われる。
しかるに、この見解に対しては、「構成要件がとくに国内法益のみを保護しているとは理解されない場合、例えば、殺人罪のように、普遍的な個人法益を侵害する犯罪については、刑法が『国内犯として』諸外国の法益をも保護対象としていることが前提とされている……が、日本の刑法が、不特定の外国の法益をも『国内犯』処罰という形で一般的に保護していると考えることは可能であろうか。」という批判が提起されている(30)。論者は、殺人罪のような普遍的な個人法益を侵害する犯罪においてもその保護法益は日本国内の法益に限定されると主張されるが、なぜ個人法益に対する罪の保護法益が日本国内の法益に限定されるべきなのか必ずしも説得的な説明はなされていないように思われる。
思うに、国家的法益ないし社会的法益の場合は、個人が集合することによって形成された特定の社会集団の(個人的利益には還元できない)利益だけが刑罰による保護の対象となるとするのは当然であり、当該集団とは無関係の利益を侵害しても当該集団の刑法規範に違反したとはいえない。しかし、人の生命・身体という個人的法益の場合は、国家という集団の枠を越えて国際社会全体の共通利益として尊重すべき重要な価値があるという認識が存在する以上、日本の刑法は日本国内の生命だけを保護していると理解することは国際社会においてあまりに自己中心的な発想であり妥当とはいえない。生命という普遍的な価値の認められた法益を侵害する行為が日本国内で行われたならば、たとえ結果が外国で発生しても、我が国としては領域主権に基づく場所的管轄により「国内犯」として処罰することが不合理であるとは思われない。論者は、「日本の刑法が殺人罪について……すべての者の国外犯を処罰する世界主義を採っていないことは、殺人罪の保護対象が原則として日本国内の法益に限られることを前提にしなければ理解できない」とされるが(31)、殺人など国際社会全体としての共通利益を害する犯罪については、犯人と犯行地のいかんを問わず自国の刑法を適用する世界主義を適用することも当然考えられるところであるが、現在の刑法はそのような共通利益の侵害も国家主権が及ぶ領域と何らかの連結点を持つ場合に限って場所的管轄権を及ぼしているにすぎないのであって、そのことが殺人罪の保護対象を日本国内の法益に限定することの論拠にはなり得ないように思われる。何が当該構成要件の保護法益かという問題と、どの範囲の法益侵害行為を国内犯として処罰するかという問題は別個の問題として区別されなければならない。