これに対して、長崎地裁は、「本件逮捕に際し、『フェニックス号』を追尾していた巡視『つるかぜ』が領海内において停船信号である『K旗』を掲げたり、拡声器等で停船を命じたとの事実は、追跡権に基く逮捕の要件中最も重要なものと云うべきこの点につき、出発から逮捕地点迄の追跡の状況を明らかにするため作成された前掲実況見分調書に何らの記載がないこと。領海2.7乃至2.8マイルの地点でK旗を掲げる等停船命令を発した旨の海上保安官の各証言はその根拠となる確実な書面上の記載を欠くうえ、後記逮捕の経緯からみて結局疑わしいものと断ぜざるを得ないことなどから考え、これを認め難い」とした上で、結論的には、「本件逮捕が追跡権行使の要件を充足していない疑いがあり、そのような違法な疑いのある身柄拘束下で作成された被告人両名の供述調書についてはその証拠能力を否定したのであるが、右逮捕手続段階における瑕疵がひいて憲法31条の精神に反するものとして公訴提起行為自体まで無効ならしめるものとは認めないので、この点に関する弁護人らの主張は採用できない(49)」と判示した。
しかし、今回の不審船の事例では、当初、航空機によって停船命令を実施し、その後不審船舶に約千メートルに接近して、巡視艇による視覚信号等を用いた停船命令を実施しており、国際法上の継続追跡の要件を欠くような行動は何らとられてはおらず、その意味で、この点についての問題は一切発生していない。それでは、停船命令を無視する被疑船舶に対して、巡視船艇及び護衛艦が威嚇射撃を行ったが、これを無視してなお逃走する船舶に対して、国際法上いかなる危害射撃が可能なのであろうか。次に、この問題について検討してみたい。
(2) 危害射撃のあり方
停船命令を無視して逃走する被疑船舶に対する危害射撃の例は、米国沿岸警備隊の実行を中心に何例か存在する。特に1980年代に入って麻薬密輸の取締りに絡む事例が頻発している(50)。また、その他の国の実行であっても、漁業法令違反の事例を中心にそうした例がないわけではない(51)。しかし、いずれも外交的な処理で問題が解決されている場合が多いように思われる。国際紛争処理手続に訴えて解決を求める事例はそれほど多くはない。本稿では、そうした国際紛争処理手続に訴えた著名な3つの事例を取り上げ、逃走する被疑船舶に対する武器の使用の問題を検討してみたい。