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(ア) アイム・アローン号事件(1933年)

米国は1919年に禁酒法を制定し、酒類の製造、販売、輸送及び輸入を禁止したが、海上からの酒類の密輸に悩まされていた。そこで、沿岸から12海里水域にいるすべての船舶を臨検、捜索することを認める関税法を1922年に定めた。しかし、英国は3海里を超える公海上での外国船舶の捜索に抗議し、両国の交渉の結果、1924年に英米酒類取締条約が締結された(52)。同条約は、被疑船の速度で米国沿岸から1時間までの航程において、米国が酒類取締のために英国の私船を臨検、捜索できる旨を規定した(第2条)。1929年3月20日、カナダ登録の英国船アイム・アローン号は、米国領海3海里外であるが米国沿岸から1時間航程内の海域で米国沿岸警備船に停船を命じられた。しかし、これを拒否し逃走した。そこで、米国沿岸警備船(ウォルコット号)は継続を追跡しながら他の警備船(デクスター号)に協力を求め、3月22日、デクスター号が米国沿岸から約225海里離れた海域で同船を撃沈した。

1924年条約は、密輸取締りの権限の濫用によって被害を受けた英国船舶は、損害賠償請求を合同委員会(英米各1名の委員からなる)に付託しうることを規定していたので、カナダ側は本事件を同委員会に付託した。本事件で追跡権に関するさまざまな訴えがなされたが、本稿に関係するのは、追跡権は被疑船舶の撃沈までをも許容するものではないとの訴えである(53)

本事件で、カナダ政府は、「仮にアイム・アローン号の追跡が正当化されるとしても、撃沈の行為は違法である」と主張した。すなわち、「1924年の英米酒類取締条約は、乗船し捜索し、そして最後の手段として(一定の条件に基づいて)逮捕する権限を付与している。それは、暗に、当該目的を達するために正当な実力の行使を行う権利を与えているものの、船舶の撃沈はかかる正当な実力の行使の過程で偶発的に生じてはおらず、故意かつ周到なものであった」と非難した。これに対して、米国は、同船の撃沈につき、「条約上の水域内で停船命令をうけた時、停船又は臨検を拒否した船を最後の手段として撃沈することは条約上の文言の必然的な意味である。

 

 

 

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