もし、「目的」を強調することの意義が、そのような目的をもつ船舶の存在や通航それ自体を有害であると認定することにあるのであれば、それは、国連海洋法条約25条の防止措置規定の意義とは異なる問題である。
そこで、「目的」をそのような意義をもつ意図的要因であるとしても、はたして、行為態様と切り離して、船舶の「意図的要因」を認定することができるか、という疑問が残る。たとえば、有害とされる活動を、現に行ったばかりであるとか断続的に反復している船舶のような場合には、今後もそのような活動を行う高い蓋然性と、それを疑うに足りる合理的な理由をもって、有害活動を「目的」とする船舶であるということはできるかもしれない。しかし、そのような船舶に対しては、国連海洋法条約25条(フランスのデクレ5条)により、沿岸国が防止措置を取りうることは明らかであって、その限りで、沿岸国の法益は保護される。つまり、そのような場合に「目的」という要因を無害性の認定基準に含めることの意義は、「防止」にとどまらず、無害通航権を否定する必要がある場合に限られる。他方で、事実上の蓋然性や、有害活動を行うと疑うに足りる十分なあるいは合理的な理由が伴わないような場合に、つまり、時間的にも事実的にも船舶の活動とは切り離して、どのようにして船舶の「目的」を認定するのか、そして、これに無害通航の権利を否定する意義があるのかは理解しにくい。
かつて、軍艦について船種別規制が主張され、船舶の性質自体が沿岸国にとって危険であり、船舶の通航や存在それ自体が有害であると解されたのは、それは、まさに、軍艦という独自の船舶の種類であったからといえる。つまり、軍艦については、現に当該軍艦がどのような具体的活動を行っているかを考慮することなく、およそ軍艦であることによって、その存在自体が危険性をはらみ、沿岸国の安全をおびやかすものであるという、一般的承認が存在するのである。そして、そのような一般的承認が根底に存在するからこそ、船種別規制が成立することができるのである。しかし、軍艦という特別な船舶の種類による限定をはずして、一般的に、船舶の「目的」ゆえにその存在自体が危険であるとか、船舶の性質が危険を含むという判断を、上にのべたように、時間的にも事実的にも具体的な有害活動の実施と切り離して行うことには、多大な困難が伴うと予測される。