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これからは、○○はもとから絶たなきゃ駄目、森は海の恋人、と海洋環境も森や河川にも気を配り、私どもが地球で快適に生活できたもとのきれいな自然環境を、そのまま次の世代に渡すのが我々の使命であり、それが人生のリレーであると思います。

(新潟地区会誌「かんきょう通信 第6号」より抜粋)

 

【海浜のゴミ】―南九州地区・長友剛統括推進員―

最近の海浜には、打ち寄せた海藻、流木片に混じって多数のプラスチック製容器、ビニール袋や紙コップ、ペットボトル、キャップのついたドリンク剤の空き瓶、化学繊維で作られた魚網やプラスチック製の浮き等の漁具が散乱しています。人間が生きている限り、ゴミは出続けます。自分の手から離れればそれで終わりではありませんし、誰かが片づけ処理しなければなりません。昔から土に還るものは再び生きるといわれてきました。ところが、還らないものが溢れてゴミ問題をいっそう複雑化させています。

(中略)海藻や椰子の実など黒潮に乗って運ばれる漂着物を奄美の方言ではユムリン(寄り物)と呼び、恵みをもたらすものとされてきましたが、今回、奄美海洋展示館の職員が行った漂着物調査では、漂流物の殆どが廃棄物という結果に、館長は「多くの廃棄物が流れてくることを知ってもらい、自然保護や海浜保護に少しでも役立てば。」と話していました。

このように原因はどうであれ、沿岸から海洋へ、そしてまたいずれかの沿岸へと広がる海洋汚染に対し、今緊急に有効な沿岸環境の地域的、国際管理システムを構築することが必要な課題であるといわれていますが、全世界的に対応しなければならないということでしょう。

ゴミの海岸などへの投棄は、私たち一人ひとりの自覚に係わる問題ですが、私たちの身近なところでも、特に夏場は海水浴や浜辺でキャンプをした人たちが投棄したとみられる空き缶や空き瓶、弁当ガラ、花火の燃えかす等のゴミが海辺や松林の中に溢れているし、特に悪質に思えるのは、砂浜に穴を掘ってゴミを勝手に埋めていることです。

このような不心得な者は一人や二人ではなく、沢山の人がこれを真似しているように思えてなりません。

かつて、私たちが子供の頃、白い砂浜を裸足で飛び回ったり、踏みしめながら歩いたことは遠い昔の夢物語になってしまったのでしょうか。今では、海岸に打ち寄せるのは椰子の実ではなく、多数のゴミであり、本当に情緒のない話であります。

失ったときに初めて気づく愚かさを実感させられることだけは、私たちはどうしても避けたいものです。

(南九州地区会誌「青い海 第8号」より抜粋)

 

 

 

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