ロシア経済崩壊まで、ロシア人のシベリア進出は増え続け、自治共和国を持つヤクート、自治州や自治管区(1977年以前は民族管区)しかないネネツなどはまだ恵まれた状態にあるとも言われるが、名目上の自治すら許されなかった少数民族の多くは、個別の共同体としては消滅する運命に直面している。
資源開発や地域産業振興が先住民族社会に及ぼす影響も甚大である。ソ連体制時代、最も疎遠であった北極圏で、ドルガン・ネネツ自治管区は、非鉄冶金工場からなる産業都市ノリリスクによって侵略的な支配を受け、ノリリスク近郷の広大なトナカイ牧草地は、トラック走行に蹂躪され、回復、修復の困難な自然条件によって生命のない荒れ地に変貌した。また、最も東のトナカイ飼育コルホーズは先住民の管理によりその繁栄が遠く北欧にも伝えられる程であったが、ノリリスクの都市化に併せて国営化が図られ、官僚的かつ腐敗した国営農場の管理下に合併され、やがて消滅の運命を辿った。この国営農場は、毛皮と魚の生産で大きな収益を上げたが、数千頭に及ぶ家畜トナカイは野生に戻り、トナカイの生態系にも大きな影響をもたらすこととなった。先住民族は、ロシア人により狩猟の機会さえも奪われ、職はなく、住居は劣悪で、幼児死亡率は異常に高く、短命であり、トナカイ飼育民の共同体は、無気力に陥り酒浸りの日々を過ごすようになった。