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このような先住民の歴史は別としても、北に氷で被われた海があることは、かなり古くから知られ、ギリシャ時代の文献には氷海の記述が見られる。氷海見聞の真偽はともかく、紀元前4、5世紀のギリシャ、ローマの地理学者・天文学者は、地球の形態と気候の寒暖の変化とを勘案して、その論理的推論の帰結として、北に氷の海があると考え、信じていたことが知られている。時代を経るに従い経験的にも北極海氷縁の断片的な情報が徐々に伝えられるようになった。これらの情報は、少なくとも紀元後数世紀に至るまでは、氷の海を求めて意図的、計画的に船を進めたものではなく、人々の未知の領域に対する潜在的な興味はあったとしても、恐らく漂流等の偶然の所産としてもたらされたものと考えられる。ルネッサンスより遥か昔のこの時代、既に北極周辺についてかなり正確な情報が貯えられていたことが、様々な資料、記述からうかがわれ、驚かされるが、その後その多くは忘れ去られ、ルネサンス以後言わば再発見されることとなる。

 

西欧社会の関心

7、8世紀になり、欧州を基点とする北極海探検の先鞭を付けたのはアイルランドの僧侶であり、皮舟を操っての航海記が残されている。5〜10世紀に行われた僧侶や漁夫による北極海への航海は、残された記録に見る限り、不可解な記述も少なくなく、海洋資源の天国的宝庫の模様や恐ろしげな氷の海の状況が極端な誇張を交えて語られている。ただし、僧侶の中には、知識階級の間のみに僅かに伝えられてきた北の国の断片的ではあるが確かな情報を頼りに、ファロウ(Faroe)島やアイスランドに居住地を開拓したものもいた。

 

ヴァイキングの活躍

航路啓開の努力主体は、8世紀以後、僧侶からヴァイキングに継承される。本来農民であったが航海術に天賦の才に恵まれたヴァイキングは、当初小船による沿岸航海を旨とした。その後造船技術の改良進歩によって次第に大型の舟を建造、操船するに及んで、航行域は遥か沖合いに拡大し、侵略、略奪、部族の抹消などの激しい行動によって、10世紀の全盛期には、カスピ海からスペイン沿岸にまで、支配域を広げた。

深海ヴァイキングと通称されるノルウェー・ベースのヴァイキングは、後世伝説ともなった荒々しい気質を持ち、その激しい気質故に厳しい海を切り開いて白海沿岸に到達、またアイスランド南部に定住地を開拓し、現在に至るまで彼等の子孫を伝えている。984年、ヴァイキング史上有名なエイリク(Eirik the Red)率いる一団は、グリーンランドに到達して居住地を構え、その息子エリックソン(Leif Eiriksson)はアメリカ東岸に達し、その地をヴィンランド(Vinland)と名付けたことはよく知られている。カナダ、ニューファンドランドにも、彼らが居住地を築いた遺跡が残されている。

 

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19世紀半ばにおける氷山の印象 (Raurala, 1992)

 

 

 

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