'99夏、私たち夫婦はとても貴重な一時を体験することができました。ボランティアという形で参加したのですが、普段、数時間しかふれあうことの出来ない家族たちと寝起きを共にすることで、今まで知らなかったいろんな驚きと!発見と!感動を!(おまけに本音とタテマエ?も)経験できたことは、本当に実のあるキャンプだったとおもいます。もしかしたら、来年もヨ・ロ・シ・ク! 多田夫婦でした。
私は今回のキャンプで香川から参加した子どもたちと仲良くなった。「介助ボランティアで参加してもらえませんか」と言われ、自分に務まるのかドキドキしながら参加したが、どうしてどうして、遊ばれているのは私の方ではないか…。ひとくちに障害といっても、子どもたちの症状が星の数ほどあるのに驚かされた。もちろん、将来どの様に育つかなんて便利なマニュアルもない。親たちはどんなに不安だろうな…。子どもたちと接する(遊ばれる)時間の中で、そんなことをずっと考えていた。それにしても参加していた親たちの表情が明るいのは何故だ。何か吹っ切れたような、パワーがみなぎる笑顔が印象的だった。「障害も子どもの大事な個性と思えるようになった」笑顔で話す、ある母親の一言が心に残っている。子どもたちと話していると、彼らの話す言葉を理解できないことが多々あった。そのときの子どもたちの淋しげな表情は思い出すのも辛い。いったい、「障害」という言葉の意味することは何なのか。「健常者」であるはずの私は彼らの気持ちさえ十分に理解出来ないではないか…。彼らにとっては私こそが「障害者」なのではないか…。そんなことを考えもした。
今の社会は、キャンプに参加した子どもたちが‘ふつう'に暮らせる社会とは言い難い。しかし、彼らも私たちも間違いなく社会の一員なのだ。私には彼らの気持ちを完壁に理解できる力もないが、少しでも理解し合いたい。ともに生き、社会を創っていきたい。それが、今の私に出来るベストなのではないかと思う。言葉では上手く言えないが、そんなことを感じ、学んだキャンプだった。 森田
私は四国・高松からボランティアとして初めて参加させていただきました。ボランティアとして参加しておきながら、そこには流れる時間を楽しんでいる自分がいました。子どもたちと遊んだり、人生の先輩方から日ごろ耳にしないようなお話をうかがったり、また、朝晩の清々しさと十分なビールが心地よい眠りを与えてくれ、行われた様々な催しに日常のせわしなさを忘れていました。
こんなことですから親御さんたちのお役に立っていたのかどうか今ひとつ心に引っかかるものがありますが、自分にとってこれまでにない貴重な経験をさせていただいたことは確かです。この経験を今後に活かすこと、これを今回参加させていただいて得られた自分の新たな目標と致します。 西林