水辺のつくり方やつきあい方を、人間の都合だけで進めすぎないということを指摘させていただきたいと思います。
中村さんの新町川での取り組みはたいへん重要です。現場に出ていきやすいような条件整備を誰が担っていくのかということは、どこでも頭を悩ませているところです。海の環境問題だけでなく、お祭りや魚を食べるなど違う視点を持ち込んで、いろいろな方向から迫っていくことが糸口になっていくのではないかと思います。
「なぎさ海道」のさまざまな活動は、そうした人材の掘り起こしにつながっています。こうした取り組みをじっくりと続けていただき、美味しい魚が食べ続けられることが私たちの願いです。
水産庁瀬戸内海漁業調査事務所「瀬戸内海の赤潮」より
水辺を市民の手に取り戻す
紙野 ありがとうございました。せっかくの機会ですので、会場の方からもご発言いただきたいと思います。
辻口 「よみがえれ神崎川市民の会」の辻口です。これからの都市政策において、川の環境は特に重視しなければいけない問題だと考えます。
戦後の高度経済成長の中で、川や海は比較的軽く見られてきました。大阪市の場合、淀川は上水道として大事にされてきましたが、神崎川は下水道として使われてきました。昭和30年頃の神崎川では泳ぐこともシジミを捕ることもできました。しかし高度成長期以後は汚れ放しで臭いもひどく、川を渡る阪急電車も夏場は窓を閉めたほどでした。公害規制がなされるようになってからはかなりよくなり、現在の水質はBODが5〜10ppm程度です。
私たちは神崎川を昔のような川によみがえらせることを目指して、活動を行なっています。市民は、川の汚れに対して比較的無関心です。市民に川に関心をもってもらうことが川を再生し憩いの場にする第1のポイントです。
私たちの会では、一昨年から「神崎川フェスタ」というイベントを開催しています。また来年には矢倉海岸の公園整備も完了し、神崎川から大野川緑陰道路へつながる自転車道も整備されます。市民の関心も一層高まるでしょう。そうなると行政も力を入れてくれるようになるのではないかと期待しています。残された良い環境をできる限り市民の憩いの場にするよう、今後も頑張っていきたいと考えております。
紙野 矢倉海岸や神崎川の活動は、まさに「なぎさ海道」でやろうとしていることを市民の方に先取りしてやっていただいている感じです。「なぎさ海道」としても、できる限りご支援させていただきたいと思います。
1932年大阪生まれ。1956年大阪大学工学部構築工学科卒業。同大学工学部助手、助教授を経て、1983年工学部教授に就任。1994年より大阪大学評議員を兼任。1996年大阪大学名誉教授、帝塚山大学教授に就任、現在に至る。専攻は都市計画学・建築計画学。主な著書に「人のうごきと街のデザイン」(彰国社)、「見る環境のデザイン(学芸出版社)、「これからの安全都市づくり」(学芸出版社)など。
斎藤 西淀川区で16年前から「ライブタウン」というタウン紙を発行している斎藤です。
「なぎさ海道」というのは、非常にロマンのある名称だと思います。国土を海に囲まれた私たちは、かつては海洋民族として縦横に駆け回っていました。そういう活力をもう一度呼び戻すということは、大きなテーマだと思います。
本日のワークショップで視察させていただいた神戸の海は、大型船が停泊し、沿岸にはリフトが立ち並び、まさに関西経済の大動脈として「働く海」という印象を持ちました。でも、何か足りないのです。新町川の寒中水泳のお話をうかがって、それが何だかわかりました。
新町川では生活の匂いが川の匂いを呼び戻しています。神崎川や淀川ではいろいろな整備が行なわれていますが川が汚いということもあってまだ水と戯れたいという気持ちにはなれません。川を使ったまちづくりを考える際、川でとれたものを食べられる状態にしなければ、市民生活の中に川が戻らないと思います。