高速道路というのは都市計画法に基づいて決定され、国の予算で整備されます。これを全く廃止することはできません。そこで苦肉の策として、実質は公園なのですが「道路」という名称だけを残しているのです。
緑陰道路はノンストップでジョギングや散歩ができます。西淀川区役所が行なった「区内で一番自慢できるもの」というアンケートでも、この大野川緑陰道路を選んだ人が70%に達しました。
矢倉海岸緑地計画への展開
喜多幡 大野川緑陰道路が完成しましたが、私たちはこれで運動を終わりにしてはいけないと思っていました。西淀川はもともと「水の町」です。かつては漁業と農業を生業としていましたが、高度成長の中で周辺が工場になり、人々はそのことをすっかり忘れています。区民に「水の町」を知ってもらうにはどうしたらいいか。それが私たちの次の課題でした。
淀川と神崎川に挟まれた三角地帯(写真3])は200年ほど前の新田開発によって生まれ、開拓者の名にちなみ「矢倉新田」と呼ばれていました。台風による破堤や工業用水の汲み上げによる地盤沈下によって手つかずで放置されていたため、かえって貴重な自然が残る海岸でした。ところが1978年に工業指定区域に指定され、工場誘致案が浮上します。
ちょうど当時は、兵庫県高砂市で「海辺は市民のもの」という「入り浜権運動」が展開されつつある時でした。私たちはこの運動と交流しながら、会の名称を「西淀川区民の海岸造り推進会議」と改め、この埋立地を市民の憩いの場とする運動を進めていくことにしました。
当時この土地には登記簿上の所有者がいましたが、「構築物さえつくらなければ構わない」という承諾を得た後、まず手始めに第1回矢倉海岸釣り大会を開催しました。手製のポスターによる宣伝だけでしたが、約600人の方が参加してくれました。この釣り大会を背景に4万5千名の署名を集めて、市と交渉を始めたのです。
この運動の一番の問題は行政による土地の買取りでした。