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資料編

 

資料1

 

AMETIAP開催に至る背景について

 

1. 海上における人命の安全に関する国際条約の成立

 

我々海上人の交通法の原典ともいえる海上衝突予防規則は、1863年、当時の世界の海を制覇していた英国政府が公布したRegulation for Preventing Collision at Seaを規範法として、各国政府が国内法として取り入れ、世界的に共通する法体系を構成したものであった。

しかしながら、これらの各国の国内法は英国政府のRegulationが改正される度に改正する必要があり、主要海運国間に統一法制定の機運が熟するに至った。

ついては、1889年にワシントンにおいてInternational Marine Conferenceが開催され、英国法を骨子として国際的な統一規則の制定について討議された。

この会議において議定された規則は条約とはならなかったが、代表者を送った各国政府は、この新規則を国内法として採用し、かつ、不参加国政府にこの新規則を国内法として取り入れるよう措置することを協定することによって、国際的統一が図られることとなった。

しかしながら、この1889年規則も、その後の目覚ましい航海、造船、その他海事に関する諸般の進歩に伴って、改正を要するものが数多くなってきていた。

そのような状況下にあった1912年、世界を震撼させる『タイタニック号』の大海難事故が発生し、これを契機に翌1913年、ロンドンにおいて『海上における人命の安全について』の国際会議が開催された。

その結果、1914年、海上における人命の安全に関する国際条約"International Convention on Sea of Life at Sea"所謂SOLAS条約が作成調印された。

この画期的な国際条約の主要項目は、船舶の構造、救命設備、航海の安全並びに安全証書に関するもので、『航海の安全』の中に、『海上における衝突の予防に関する国際規則』の世界的賛同を求めるための一層の努力についても約定されていた。

一方、無線電信関係については、タイタニック号の遭難時に無線電信の重要な役割が認識され、無線設備の強制化について、各国の立法化を促する決議が国際電信会議において採択されている。

このようにして海上の安全に関する画期的なSOLAS条約が締結され、国際的な海上衝突予防規則の世界的な統一についても約定されたにもかかわらず、第一次世界大戦が勃発したため、そのまま放置された状態で推移し、1929年になって漸く『海上人命安全条約の第2付属書』が議定され、我が国では、昭和8年(1933年)になって『船舶安全法』が公布されているが、『国際海上衝突予防規則』の実施については、各国の一致を見ないまま、再び、第二次世界大戦へと突入してしまったのである。

そして、第二次世界大戦後は国際連合時代の幕開けとなり、国連の傘下に各種の専門機関が設置され、国際協調とこれに基づく各種国際条約が採択調印発効されていった。

 

 

 

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