そして、自己を犠牲にしても一所懸命やってくれるボランティアがいる。これが私どもの観光の質を高めると同時に、ルーツをしっかり保っていける秘訣だと思う。
市民:
ビゴ市はもともと工業都市であったけれども、それを観光都市としてイメージづけるために苦労されたということだが。
ドミンゲス氏(スペイン)
自然、食文化、伝統を最大限に利用して、現在、促進を図っている。これらを生かして観光産業を立ち上げたことでは、ほかの観光都市との差別化を図れる点だろう。
ビゴでは、観光と産業の共生を図っている。そして産業も、観光と同様に地場産業などに基盤をもっており、地元の人たちが自分たちで始めたということに特徴があると思う。ビゴ港が、この両方にとって経済や社会の中心であるということは本当に幸いで、私どもの急成長をもたらしてくれたのは、この港である。
ビゴ市観光部は1990年に設立され、当初はいろいろな難問にぶつかった。最初の問題は、自然、文化、料理等、今まで残されてきた遺産をどう回復していくかということだった。これに対して、ビゴ市は1992年、歴史遺産環境部という新しい部を創設。この部が8年間にわたって観光に関する次のような重要なプロジェクトを行ってきた。
(1) ビゴの動植物の目録の作成
(2) 文化遺産のカタログの作成
(3) 18世紀に作られた四つの水車の改修
(4) 歴史遺産への道順の標識、カタログの作成、森林公園内のパノラマ道路の整備
(5) 市内の歴史地区の再生・活性化
2番目の問題は、観光部門の専門家にさせるということと、活性化。これに関しては、食と旅行者の受け入れのインフラという問題。この分野に関しては専門化を図るということに主眼を置き、1990年に市立のレストラン学校が開設された。専門的なコースで、シェフたちがトレーニングを受けている。この学校は、地元の産物を使った名物料理となるものの開発機関としての側面も持ちあわせている。
3番目の問題は、市内、または市外を含めて、いかにして観光の振興を図っていくかということだった、この最大の問題は、ビゴ市民自身がビゴ市についてあまり何も知らないということだった。これは、観光インフォメーションセンターができた最初の年に受けた質問の75%が、ビゴ市市民からの質問であったということからも明らかだ。この問題が一応の解決を見始めたときに、ビゴの観光の定義づけが明確になってきた。行政としては最初から、プライベートセクターも全部含めたかたちでの観光振興キャンペーンを推進してきた。国内外の観光フェアに参加したり、観光の円卓会議(ホテル業界、レストラン、旅行会社、交通機関の方々に地元の自治体とともに参加を願い、観光の質を高めるために一緒になって働こうということを主眼においたもの)を組織したり、スペイン国内で、後にはヨーロッバ全土でビゴ市の紹介をして歩いた。