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人口問題と個人の欲望の問題への対処

人口も、個人の欲望も、共にだれも真っ正面から取り組もうとしない。何となく猫の首に鈴をつけるのに似ているからであろう。あるいは、麻薬中毒患者が、自ら麻薬中毒をやめることに取り組まないのと同じようでもある。

まず、人口問題であるが、地球環境を維持している最も本質的な仕組みである物質循環の視点から考えてみる。物質循環の維持のためには、関わっている物質を長距離移動させないことである。この視点で人間が行っていることを眺めると、食糧の長距離移送が問題として浮かび上がってくる。というのは、食糧を遠くに運んだ場合、食糧を提供した土地は物質を失い、食糧を持ち込まれたところは逆に物質が過剰になって、共に物質循環がうまく回らなくなる。前者は砂漠化、後者では富・過栄養化と呼ばれる問題が起こる。もし、どうしても食糧を長距離にわたって運ぶ場合には、食べた後の糞・尿を集めて生産地に戻すことである。日本の古い諺に「身の三里四方」というのがある。これは自分自身の身の回り三里四方、つまり12キロ四方でとれる物を食べて生活していれば健康でいられるという、ものである。これは物質循環の上でも理想といえる。食糧を長距離移送しないというのは、外国と食糧をやりとりしないというだけではない。国内でも、北海道から首都圏に食糧を運ぶことも同じである。

食糧を長距離移送させないということは、言い換えれば食糧を自給自足することに他ならない。食糧の自給自足が徹底すれば、食糧生産が身近で行われるから、食糧の生産に対する意識が身近になり、それぞれのところで人口を一定の大きさに収斂しやすくなる。

それには適正人口を考えることである。その場合に、国を一つとするのではなく、市・町・村程度の大きさを単位として考えた方が、現実感がある。ゆったりと暮らしたい人達が多ければ、人口密度は小さくなり、反対に多くの人と共に暮らしたい人が多いときには人口密度は大きくなる。自給自足にすると、食べ物が単調になると心配する人がいるかもしれない。それを解消するのは、時々旅をして別の土地に行ってその土地の物を食べることである。また、地域の環境維持を考えると、農地にできる面積も限界があるから、それに見合った人口の維持を考えざるをえなくなる。そこには人口問題と真正面に取り組む姿勢が自然に生まれてくる。市・町・村で出された適正人口を国として合計すれば、国としての適正人口が求められる。適正人口は時代によっても変わるから、時々行ってその時代の人達の意識を反省させるのが良い。

 

 

 

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