しかし、東西に延ばされた蛇行南縁部の位置が四国沖でやや北に移動しているように思われる。
東縁部が室戸岬を通過し、潮岬付近に達したと思われる10月下旬(Oct19-31)および11月上旬(Nov.1-5)の第5管区の海洋速報をFig. 5 に示す。10月上・下旬には四国沖での黒潮強流部の北縁が32°Nに達し(Fig. 5)、蛇行南縁部は足摺岬南方で折れ曲がった形になるとともに、東西に引き伸ばされた蛇行の東端部分(南縁の折れ曲がりによる南北幅の減少した部分の東)に東西幅の小さい低気圧性渦が生成されている(Fig. 3 、Fig. 5)。Fig. 5 に示された流況は、この渦が紀伊水道内に存在していた低気圧性渦と相互作用を起こし、合体したことを示唆している。これに伴い、黒潮流路は土佐湾の沖で北上し、東西に引き伸ばされた蛇行(冷水域)は東西に2分されてしまう。その後、西側の冷水域は消滅し、紀伊水道沖の低気圧性の渦・小蛇行だけが存在することになる。この小蛇行の東西幅は、最初に都井岬沖で発生した小蛇行と殆ど同じである。恐らく、この類似性が、都井岬沖の小蛇行がそのまま紀伊水道沖にまで伝播してきたと言う印象を一般に与えたのであろう。小蛇行がさらに東進し、潮岬沖を通過しつつある状況が11月15-20日の資料に基づく第5管区の海洋速報に示されている(Fig. 6)。興味深いのは、この時紀伊水道内の低気圧性の渦が消滅し、高気圧性の渦が発生していることである。これに関しては、第4章でさらに議論することにする。
1989年の大蛇行発生時の黒潮流路変遷を7月下旬から12月上旬の期間について、Fig. 7 に示す。この場合にも7月下旬に都井岬沖に小蛇行の発生が見られており、この蛇行がそのまま東進するのではなく、西縁の位置が殆ど動かず、蛇行の東西幅の増大に伴って、東縁が東進していく様子が見られる。9月下旬の図で、東西に引き伸ばされた蛇行の東端部(室戸岬南方)で、東西幅の小さい渦が描かれているが、流速場がその存在を明確に示しているとは言えない。しかし、10月の上下旬になり、東縁部が潮岬沖に達すると、東西に引き伸ばされた蛇行の南縁にくびれが生じ、土佐湾南方での黒潮流路の北遍が起こり先端部が切り離されて、紀伊水道沖に東西幅に狭い、強い渦・小蛇行が形成される。この全体の変遷過程は1986年の場合とほぼ同じであるが、紀伊水道沖での小蛇行の発達はより顕著である。2つの場合ともに、紀伊水道沖の小蛇行は東進して潮岬を越えて遠州灘沖の黒潮大蛇行へと発達した。
3. 都井岬沖で発生した小蛇行の変形とその東縁の東進
前章で論じた様に、1986年および1989年の大蛇行の発生時においても都井岬沖で発生した小蛇行が黒潮大蛇行の引き金の役割を果たしている。ただ通常の意味では、「小蛇行の東進」の現象は認め難く、「小蛇行の変形とその東縁の東進」を考えるべきであると言う結論を得た。他の1959年、1969年、1975年の事例にっいても水路速報に戻って再検討を行った。しかし、1986年、1989年の場合に比べて、基となった観測資料が少なく、すでにSH0JI(1972)やKAWABE(1980)が論じた以上には、詳しい解析は出来なかった。そこで、彼らの図を引用しながら、前章で述べたような考え方が成り立つかどうかを検討することにする。
SHOJl(1972)が示した、1959年と1969年の黒潮大蛇行発生時における黒潮流路の変遷をFig. 8 に、KAWABE(1980)の示した1975年の変遷をFig. 9 に示す。面白いことは、これらの図は都井岬沖で発生した小蛇行の東縁が東進することが明確に示されているものの、四国沖で東西幅が限られた「小蛇行」の存在を示すような流路図は一枚も無いことである。われわれは藤田(1997a)が解析した1982以後に発生した4つの黒塩大蛇行の発生事例についても検討したが、得られた結論は全く同じであった。東西幅の狭い「小蛇行」が認め得るとしても、四国沖ではなく紀伊水道付近でであり、東西に引き伸ばされた蛇行の東端の部分が分離し新しく発生したと考える方が自然である。紀伊水道での小蛇行の発生と発達については、次章でさらに詳しく論じることにする。