これは人の褌で相撲を取るようですけれども、APCSSに人を引き続き送り込んで、将来の地域のリーダーとつきあっておくことはとても大切なことです。
その結果どうなるかは、わかりません。アメリカ一辺倒が崩れるのか、日本の声が高まるのか、あるいは、アジアとアメリカが離反するのか。すべては、ここに集まったような若いジェネレーションが作ってくことですから、どうしろ、こうしろということはないんですけれども、この場は非常に大事だなと思いました。
22:Asia Pacific Centerの目的の変遷
秋元 Asia Pacific Centerについての概要は小川さんが言われた通りだと思います。非常に有意義な活動をしている。
その発祥は、おそらく所長が言っていたように、欧州で始まったものをモデルにしたのでしょう。欧州での活動のメインテーマは、今のところデモクラシーと人権である。これをモデルとして、アジア太平洋に造ったセンターであるが、そのメインテーマは、今のところ、防衛交流を通じて安全保障に関する相互理解を深めるということですね。アジア太平洋の対象国の人を集めて、自由にディスカッションさせてやっている。しかし、わたしは、Asia Pacific Centerの目的がだんだん変わっていくのではないかなという印象を受けました。
というのは、センターが95年に始まったときは、アジア太平洋にはマルチの体制がなかった。ARFが活発になりだして、それからCSCAPが始まった。そのCSCAPでのテーマは、「マルチの体制がなきアジア太平洋で、いかにして安全保障対話をやっていくか」だったわけです。
当時の考えかたを紹介すると、ステップ・バイ・ステップでいくしかないということで、まず信頼醸成から始めることにした。その信頼醸成が終わったら、予防外交をやろうということになっていた。予防外交が終わったら、紛争への対処をテーマにすることになっていた。このような三段階で安全保障対話を進めていくというシナリオがありました。これを進めていく過程で、アジア太平洋の安全保障の枠組ができあがっていけばいいのではないか、という形で始まった。
ちょうど、このAsia Pacific Centerが造られたときも、そのようなタイム・シークエンスで構想されたのではないかと考えます。そうしてみますと、ここのテーマも、アジア太平洋での安全保障対話が成立してくるにつれて変わってくるのではないか。
23:それ以外にやりようがあるのか?
さはさりながら、先ほどから出ておりますが、このセンターには、クリントン政権の防衛・安全保障政策を反映したところがあり、若干リベラル過ぎると映るところは否定できない。12週のコースに参加している学生からも、「ここでやってることは、ちょっとリベラルすぎる」との所見があったところでもあります。ここで言う「リベラル」というのは、いわゆるネオリベラルでして、冷戦の頃、「あいつはリベラルだ」(「あいつはアカだ」)という意味で使われていた頃のリベラルとは違う意味合いがあります。