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3.4:日本側海域での活発な調査活動

 

1996年6月20日、日本政府は国連海洋法条約を批准し(7月20日発効)、それに基づいてようやく東シナ海大陸棚に中間線を引いたが、その後中国の海洋調査船は、わが国の奄美大島から尖閣諸島にかけての日本側海域で、さらには沖縄本島と宮古島の間の海域(以下「宮古海峡」とする)を通って太平洋に至る海域で、わが国の海上保安庁の巡視船の警告を無視して、海洋調査を繰り返している。1995年以後の中国の東シナ海の日本周辺海域における海洋調査は、1996年は15件、1997年4件、1998年14件、1999年30件であり、件数では1997年が少ないが、1999年は異常に増えた。これら調査で共通している点は、調査海域が東シナ海のわが国周辺海域の全体に及んでいることである。それは次の3つの海域であり、それぞれの海域によって海洋調査活動に重要な差異がある。(第5〜6図参照)

第1に、東シナ海の日中中間線のほぼ真ん中の日本側海域で、奄美大島の西方海域に当たる。ここでは地震探査による海底調査が主体で、大陸棚の石油探査が実施され、同時に同海域の海底、海中の調査が行なわれていると推定される。第2に、東シナ海から「宮古海峡」を通って太平洋に至る海域の調査で、円筒形の観測機器などを海中に投入したり、揚収したりする動作を繰り返しているところから、海域の水の温度、成分の分析などにより、船舶とくに潜水艦の航行、あるいは対潜水艦作戦に必要な情報の収集を行なっていると推定される。第3に、尖閣諸島周辺海域の調査である。この海域の海底は、東シナ海大陸棚で最も石油が有望とみられている地点であり、石油探査のための地震探査が実施されていると推定されるが、他方「宮古海峡」と同様に、海域の水の採取を行なっており、将来における対潜水艦作戦のための情報収集と推定される。

また1996年4月下旬〜5月上旬「宮古海峡」、6月10日前後の数日間に中間線付近、10月31日〜11月2日に日中間線付近、1998年7月15日〜19日「宮古海峡」で2隻、7月末から8月にかけての数日間沖縄諸島西方の広範囲の大陸棚海域で2隻が海洋調査を実施しているなど、同時に数隻の調査船が同じ時期にわが国周辺海域で調査活動を行なっていることが何回も起きている。今後こうした海洋調査活動は一層積極的に実施されると考えられる。

わが国では東シナ海と聞くと、ともすると尖閣諸島の領有権に関心が向けられるが、中国の関心はこの島の領有権ばかりでなく、むしろ東シナ海に広がっている大陸棚にある。そして中国の関心は大陸棚石油資源開発に留まるものではなく、石油資源の探査・開発を通して東シナ海に対する中国の影響力を行使し、さらには将来「宮古海峡」を通って太平洋に通じる航路を確保することにある。地図を広げて見ればわかるように、わが国にとって東シナ海は裏庭であるが、中国にとっては表玄関である。中国が太平洋に出て行くには、東シナ海から「宮古海峡」を通らなければならない。南シナ海からインド洋に出るには、東シナ海から台湾海峡を通らなければならない。?ケ小平時代以降の中国は、中国大陸よりも広大な海洋に依拠して生存することを意図している。それとともにシーパワーも成長している。中国の発展にとって東シナ海は重要な位置を占めている。中国は東シナ海という外堀を埋めれば、本丸・尖閣諸島は戦わずして乗っ取ることができる。東シナ海における中国の活動に無関心であってはならない。

 

 

 

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