現実に1995年わが国のある石油企業に、これまで東シナ海の石油の試掘を行なってきた国務院地質鉱産局上海地質調査局から、日中中間線の日本側大陸棚の開発に関する共同調査を打診してきた。この企業は、1] 中間線の日本側大陸棚に対してわが国は主権的権利を有している。2] この地域については、わが国の4つの企業がすでに石油開発鉱区を政府に出願し先願権をえているので、共同研究に応じることはできない、と返答したとのことである。平湖および周辺大陸棚の試掘が終了したので、次の試掘地点を求めての打診と考えられた。
東シナ海大陸棚で石油が最も豊富に埋蔵されているとみられている地域は、中間線の日本側である。平湖周辺海域での石油開発が有望となれば、中国の関心が日本側の大陸棚に向くのは当然である。そして1995年5月のゴールデン・ウィークを挟んで、1ヵ月以上にわたって、中国の海洋調査船・向陽紅9号(4500トン)が、わが国の奄美大島から尖閣諸島にかけての海域で、沖縄トラフをすっぽり包む形で資源探査を目的とするとみられる海底調査を実施した。ついで同年12月初頭、国務院地質鉱産局上海地質調査局に所属し、これまで東シナ海の石油の試掘を行なってきた石油試掘リグ勘探3号が、わが国海上保安庁の作業中止命令を無視して、日本側の海域に少し入った地点(第3図の×地点)で試掘を開始し、翌年2月中旬試掘に成功して引き上げた。商業生産が可能かどうかはともかくとして、石油の自噴が確認されたのである。
この地点は平湖油田の東南方約百数十キロメートルに位置している。さらに1999年10月、日中中間線の約3マイル中国側の海域(第3図の◆地点)で、上述した平湖油田の南方百数十キロメートルの海域で(×地点の東北約百数十キロメートル)、これまで東シナ海大陸棚で石油試掘を実施しているリグ「勘査3号」が試掘を開始し、自噴に成功した模様である。それ故これらの試掘の情況から、平湖油田を中心として南に延びる地質構造には、石油の埋蔵されている鉱脈が存在する、と推定される。それ故中国の海底石油開発は中間線を越えて、わが国の海域で実施される可能性がある。現実に×点での石油の自噴確認から数か月後の1995年4月下旬、中間線の日本側海域で、フランスの海洋調査船・アテランテ号(5000トン)が、ケーブルを引いて海底地質調査と推定される作業を行なった。この海洋調査は中国とフランスとの共同調査であることを中国自身公表しており、現実に同調査船には3人の中国の海洋科学者が乗っていて、同船が那覇に寄港した際下船して、飛行機で中国に帰ったところからも明瞭である。なおアテランテ号は那覇を出航した後、台湾の基隆に寄港し、台湾の海洋科学者を乗せて、わが国の与那国島をすっぽり包んだ海域で、海底調査を実施した。わが国の主権・利益は完全に無視されているのである。(第5図)
このようにみてくると、中国の海底石油開発は平湖およびその周辺の油田の開発の進行とともに、次に1996年2月試掘に成功したわが国海域内の地点(第3図の×地点)、あるいは◆地点に、今回平湖ガス油田に据え付けられたものと同じような石油採掘プラットフォームが建設され、海底パイプラインが延長されると考えられる。今回の海上作業が極めて短期間に遂行されたことからみて、わが国の警告を無視して、同様に短時間で日本側海域で採掘施設の建設(組み立て)が実施される可能性があり、このままではわが国の経済的権益が済し崩しに侵される危険がある。