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さらにこれらの海域を支配することによって、中国はその周辺諸国に影響力を及ぼし、将来インド洋、太平洋に進出することも可能となる。

中国海軍の任務を論じたある文献(「重点と均衡−−中国海軍建設方針の探究」『艦船知識』1989年11月)によれば、今世紀末から来世紀初頭にかけて、この海域で局地戦争が生起する可能性があるという。それはどのような戦争であろうか。その文献は具体的に何も言及していないが、最もありうる戦争は、中国周辺海域の領有権の画定、海域に所在する島嶼の帰属、排他的経済水域の設定およびその海域に所在する資源の開発・利用に関して生起する紛争であろう。

 

2.3.:米軍がプレゼンスすれば安全か

 

中国海軍の南シナ海進出は1970年代に始まり、米ソ関係の推移をよく見極め、その間隙を縫って巧妙に遂行されてきた。他方米国とソ連は中国海軍の進出に対して不介入、不干渉の態度をとり、とくに米国の態度には中国海軍の進出を黙認する傾向すらあった。

1974年1月、中国は海空軍力を派遣して、当時南ベトナムが領有していた西沙諸島のいくつかの島を軍事力で攻略し同諸島の全域を支配した。この時米海軍は介入しなかった。その前年の1973年のパリ協定で、ヴェトナム戦争の終結、それに伴う米軍の南ベトナムからの撤退が決定されており、米国はもはや介入してこないことを見定めた上で中国は西沙諸島に海空軍力を派遣したのである。のちに南ベトナムを解放して南北ベトナムを統一した北ベトナムは、米国は中国とぐるになってベトナムの領土である西沙諸島を中国に売り渡したと非難した。

ついで1988年3月中国は大規模な海軍力を派遣して南沙諸島の6ヵ所のサンゴ礁を占領し、「中華人民共和国の領土」であることを示す領土標識を設置して部隊が駐屯した。この時も米国とソ連は何もしなかった。当時米中関係は米国が中国に防衛性兵器とはいえ兵器を供与するところまで進展しており、他方中ソ関係は翌1989年5月ゴルバチョフ訪中が示すように改善が急速に進展していた。米国とソ連は南シナ海の小さなサンゴ礁の領有をめぐる争いで、中国との関係を悪化させることを望まなかったのである。

さらに1995年早々に中国がミスチーフ礁に「漁民の避難施設」と称する施設を建設した時にも、米国は不介入の立場をとった。1993年米海軍はフィリピンのスービック基地から引き上げており、米国が介入することは全くないという中国にとって好都合な条件が出来上がっていた。米国はフィリピンとの間に軍事同盟条約を締結しているが、その適用範囲のなかに南沙諸島は含まれないというのが、米国の立場である。航行の自由が侵されない限り、南シナ海の領有権問題には介入しないというのが、米国の立場である。

こうした1988年と1995年の2回にわたる南沙諸島海域での中国海軍の行動は、中国にとってきわめて重要な出来事であった。これにより中国は、それまで領有権を主張しても現実に支配していなかった−−というよりは海軍力を保有していなかったところから、占領できなかったし、占領しても維持できなかった南沙諸島を現実に実効支配したばかりか、満潮になると海中に没してしまうサンゴ礁に海軍陸戦隊を上陸させて占領し、ついで数年を経ないうちにそれらのサンゴ礁を人工的に改造して軍事的拠点を構築してしまった。

 

 

 

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