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15:文革時代に計画された18隻の海洋調査船

 

その海洋調査船がどういう調査船かといいますと、1980年に中国がICBMの実験をします。南太平洋、フィジー沖に向けてやるわけですが、その時に中国はICBMの追跡をすることと、弾頭を拾い上げてくるということで、観測船をつくり、それを護衛する駆逐艦をつくって、全部で18隻からなる混成艦隊をつくって南太平洋に行くわけです。ほぼ10年ぐらいの時間をかけて、船を造っているわけです。

さらに一言申し上げれば、そういう方向が出てくるのは文革の真っ最中で、1970年代の十年間を通して、その船が造られる。それで出て行ったということを申し上げておきたい。というのは、私たちはとかく文革の時には、ああいうでたらめなことをやってどうしようもなくなったと思うかもしれませんが、それはそれとして現実の問題点はあるけれど、それとは全く関係のないところで、核兵器の開発は進むし、ICBMの開発は進む。そしてその実験をやるにあたっては、ただ実験をするだけではいけないということで、それを観測するための船を18隻ちゃんと作っているということ。そういうことが文化革命のあたりの時期に決断されて、それが具体的に実施されているということを私は申しておきたいと思います。とかく文革を馬鹿にしたり、中国は政治が混乱したら駄目になるとか、経済成長を遂げなかったら駄目になるということをおっしゃる方が多いんですが、私はずっとこういう問題をやっていて結論として感じることは、そういうことは一切関係ない。そういうこととは関係なく、やることはちゃんと進んでいるということを申しておきたいのです。

 

16:海洋観測船「遠望」、駆逐艦「旅大」

 

それで1980年に海洋観測船「遠望」が2隻作られる。それから調査船が2隻、洋上補給船が2隻、サルベージ船、ミサイル駆逐艦が6隻つくられる。これが後に「旅大」と呼ばれるものになるわけですが、当時はまだそういう名前はついていなくて、駆逐艦が6隻できる。これらを合計して合計18隻になります。

目的を終わった調査船が、今度は南シナ海に出てくる。そして半年間かけて、この海域をくまなく調査して、どこに出て行くかということを調査して、出てくるのが1988年だということです。

 

17:南シナ海の「島を修復する権利を留保している」(1987年)

 

もう一つ言っておきたいことは、ちょうどその一年前の1987年に、中国の外交部が非常に重要なステートメントを発したんです。それは、南シナ海は中華人民共和国の領土である、この島は領土で、この海域は俺のものだ、ということを繰り返すわけですが、これはサンフランシスコ平和条約の時以来、周恩来が外交声明で言って以来、繰り返し、何かことがあれば中国は南シナ海はおれのもの、この島は俺のものということを言ってきているわけです。

しかし1987年4月の外交部の声明を見たときに、私が重大だと思ったのは、そこでは、ということを言ったんですね。修復する権利ということは初めて言ったことなのです。したがって私は、ああこれはやるな、つまり西沙の次は南沙で、いつ来るかなと思っていて、正直言えばほとんど忘れてしまったときに突如そういうことが出て来たので、これはいかん、これは取りに来るな、と思ったわけです。そして一年後に取りに来たということです。

 

 

 

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