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北方領土も同じなんですが、魚を五分五分に分ければ、北方領土が誰のものかはあまり大きな問題ではないんじゃないかと思うんですが、わが外務省はそうではないんですね。外務省はまず領有権、それから魚、というアプローチですね。

それで橋本龍太郎さんの時に、資源だけでもいい、というアプローチに切り換えたんですが、時期を逸しているんですね。ゴルバチョフが最初に来たときにそれを出せば良かったんですね。半分ずつ魚を分けようと。領有権は次の次の代に延ばそうや、と言ったら、それができた時期がありましたね。ところが、向こうがそれを言った途端に、外務省は蹴ったんです。

ウィーンで亡くなられた外交官のイトウさんと二人で、タイの会場のすぐそばが海水浴場だったんですが、「この辺で日本も領有権は棚上げして魚だけ分けるというやり方をしたらどうですか」と言ったんです。「ロシアにしてみると、尖閣はそうしておいて、北方領土はそうではないというのは、外交政策が違うじゃないですか」と言ったら、「絶対駄目だ、外務省としては領有権をとってから」ということでした。

しかし、多分にアジアにはアジア的な手法がありまして、何か入会権的手法、すなわち共有・共生的手法というものがありうるのです。みんなで楽しむ水域にしようという発想ですね。国家責任を追及して、罰則を科すというよりは、むしろ委員会の決定事項とか、裁判所の決定事項で国際協力を命令するんですね。損害賠償とか、そういうことの代わりに、「国際協力をしろという判決」、命令を決める国際機関が必要です。

環境がそうですね。環境は罰則をもってしても強制できないんですね。むしろ協力を義務化するという方向で処していかないといけないのではないか。

アジア地域には独特の考え方があります。欧米=キリスト教文明の国は、人間のために自然があるんですね。魚も人間のため、人格は人間と国家にしかない。ところがアジアの宗教観は自然汎神論でしょう。山にも森にも木にも、場合によっては自動車にも魂ができる。ですから自然というのを権利の主体にするんです。ですから、中国がとるか、フィリピンが取るかという前に、島は島のものだという発想でいきませんと、特に環境はそれで行かないと行き詰まるんですね。環境は誰かのものだ、人間のものだとすると、木は伐りますし、汚染します。しかし自然に発言権を与えると、自然が現在所在している国であろうが、地球の果ての国であろうが、自然に対する発言権はどの国にもある。海賊みたいに、人権に類似した自然の権利なのです。人権を根拠にするのではなく、国際環境権は、国際人権法をモデルにしてできているんですね。

海賊は世界中誰でも裁くことができますね。そうすると、自然環境を汚染するものに対しては、世界中の民族が裁く権利を有する。それは自然に代わって行なう。そういう新しい権利の概念のようなものを作っていかなければいけない。その素地がアジアにはあるように思うんです。

 

22:SEAPOL EXPERIENCEに沿った活動の説明

 

小川 ちょっと細かいことですが、皆さんにお配りした資料が五つありますが、先生にどういう資料なのか簡単にご説明していただければと思います。皆さんにお配りした順番でいきますと、SEAPOL EXPERIENCEというものですが、これはどのような内容のものでしょうか。

 

 

 

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