日本では、小田滋さんが、マクドゥーガルの日本人第一号のお弟子さんです。小田先生は横田喜三郎さんの弟子でもありますから、エール在学中はマクドゥーガルに屈することなく、いわゆる実証法主義とケルゼンの純粋理論の立場を頑なに守られました。それから海洋裁判所のメンドーサもマクドゥーガルに師事しました。
1:国際法とポリシー・オリエンテッド・アプローチ:エール対ハーバード
いま、欧米の国際法が日本の国際法と異なるところは何かと申しますと、向こうは、ポリシー・オリエンテッドなんです。ポリシー・オリエンテッド・アプローチというのは、国際法だけではなくて憲法も民事法、その他にも全てに及んでいまして、その発祥の地が実はエール・ロースクールなんです。
ハーバードは伝統がありますので、ちょうど日本の東大のようにいわゆる伝統的法律をまず守っていこうとする学校ですが、これに対して、エールはその個性を活かすために、ハーバードと袂を分かっている。伝統的、保守的アプローチをとるハーバードに対して、エールはポリシー・アプローチをとることによって個性を明らかにしてきたのです。すなわち、エールにあっては、アメリカの法政策、アメリカの外交政策がまずある。それから国際法の伝統的原則があって、後者前者に合わせて適応していくという方法をとるものですから、どうしても米ソの冷戦対立の時は、ソ連に対抗して自由主義陣営を守るためにはまずどうしたらいいかというポリシーが先にあって、あらゆるジャンルの分野の国際法の原則を選んでいったという経緯があります。
最近になりますと、もちろん冷戦時代が終わり、世界の政局が一枚岩的になってきましたので、これにともない、アメリカの国際的なリーガル・ポリシーそのものもだんだん変わってきたことは言うまでもありません。紛争解決のための法政策に変化が現れました。
ところで、マクドゥーガル教授には、弟子である私にもいまひとつ、そこまではついていけないと思うところもありました。例えばビキニ環礁での核実験ですが、いわゆる福竜丸事件などについて、「アメリカは別に悪いことはしていないんだ」、「それはやむを得ない実験の結果だ」という立場をとるのです。当時の世界状況から、アメリカ人はそういう立場を取らざるを得なかったのでしょう。
そこで、わたしは、マクドゥーガルの理論には実体面と方法論とがあるのですが、方法論には大いに共鳴しましたが、政策そのものについては、アメリカ人と日本人の違いからでしょうか、袂を分かつところがしばしばありました。
このことは、マクドゥーガルの方法論の問題であるというよりは、政策科学そのものが未だ未発達であるからで、将来においては、より客観的な政策の選択を可能にする社会科学の成熟に期待せざるを得ません。マクドゥーガルの後継者となったエール・ロースクールの、リースマン教授は、「だからといって、政策はないよりあった方がよい。現実問題として、今の国際紛争解決に有効な理論がどこにあるか」と反論しています。
彼をはじめマクドゥーガルの弟子達、たとえば、プリンストン大学のフォーク、海洋法のバーク、フィリピンの元最高裁判事のフェリシアーノ、国際司法裁判所のイギリスの判事のロザリン・ヒギンズ、日本の小田判事、カナダの条約法や海洋法の権威のダグラス・ジョンストンなどは、既成の概念にとらわれず国際法の諸原則を一定の、当該紛争解決に有効なポリシー(たとえ主観的では有り得ても)を設定したあとで、その紛争を解決するための国際法原則を選択・適用することが最も適当であると判断しています。