以上が「21世紀の食糧危機」といわれるものの構造である。「危機」とは実際の「破滅」ではなく、「破滅の可能性」である。
ところで、「食糧危機」には二種類ある。一つは食糧需給が破綻して、国民の栄養が飢餓水準にまで転落し、餓死者が続出する可能性である。もう一つは現状の食生活が崩壊して、たとえば動物性食糧が十分食べられないとか、理想的な食生活を達成できないという可能性である。後者の「食糧危機」は前者に比べて贅沢な危機ではあるが、まじめに考えなくてもよいという問題ではない。それは政治危機を生み出す。
1972年の世界的異常気象で主要食糧が不作となり、翌73年には穀物の国際価格は2〜3倍、砂糖は7倍に暴騰した。また、家畜の餌になるぺルー沖のアンチョビ(片口鰯)も大減産した。アメリカは国内の生活水準確保のためインフレ抑制を優先させ、大豆を含む重要農産物の輸出を規制した。
この逼迫状態をさらに助長したのは旧ソ連の飼料用穀物の大量買い付けであった。動物性食糧を国民に十分供給しなければ、社会不満を爆発させる恐れがあったからである。
また、1980年には、牛肉の値上げがきっかけとなってポーランドでは政変が起きた。当時アフガン問題でカーター政権が旧ソ連に穀物の輸出を止め、オーストラリアは干ばつで牛肉の輸出を減少させた。供給不足で旧ソ連圏は牛肉価格を上げ、各地でストライキを勃発させたが、ポーランドはそれが連帯による政変にまで発展してしまった。
熱量ベースで43%(1996年)の食糧自給率しかない日本のような食糧輸入国では、常に生活水準の現状維持を念頭においた対策が必要である。それは日本が飢餓水準に転落することを回避する独自の対策ばかりでなく、農業や水産業を通じて環境を保全し、食糧の生産、加工、流通、外食・調理産業を含むアグリビジネス、とくにその雇用を確保する対策でなくてはならない。
4. 農業と生態系
食糧増産に失敗すれば、世界の食糧需給は21世紀に逼迫することは確実である。したがって、食糧への需要圧力は農産物のみならず、水産物にも加重されてくることは明らかである。そのうえ、水産物については「高蛋白低脂肪」という観点から再評価がおこなわれ、「健康食品」という観点からも、需要増加が世界的規模で展開してきている。そこで、水産業についても、農業と同じく増産の可能性が問われるわけであるが、それを検討する前に、まず水産業と農業との根本的な技術格差を認識しておく必要がある。
水産業や農業が環境として依存している自然は「生態系」とよばれる。生態系は太陽エネルギーを一方的に流すことによって、生物と環境とのあいだに化学元素を往復させ、「地化学的循環」を展開する。
生物の諸群落は環境と接触するとともに、相互に交渉し合っているが、この関係は全体としては一つのまとまりとみなされる。そこでは平衡保持力が働いて、事象の変化を緩和する傾向がある。これを「ホメオスタシス」HOMEOSTASISの機構というが、この関係はダイナミックなもので、その安全性を維持する要因が一つでも過大になるか過小になるかすれば、その均衡は崩壊する。