動物性食料に食生活の重点が傾斜していけば、栄養的配慮から魚介類への需要が上昇してきますが、MSYの限界を突破できない限り、魚介類の価格が上昇してきます。もし、畜産物が動物性脂肪をコントロールした上で安い健康食品として登場できれば、動物性食料に対する需要は魚介類から畜産物へ移行し、魚介類への需要圧力は軽減するでしょう。しかし、畜産物の生産には餌問題があり、これが解決されない限り、畜産物もそう安くなると言う見通しは立ちません。
ただ、畜産と水産を技術水準で比較した場合、水産は畜産に比べてかなりの落差があります。鯨の捕獲制限はいまでも問題になっていますが、これが出た当初、日本人は大変不満でした。西欧人が鯨をかわいそうだというのなら、牛も同じじゃないのか。日本人が鯨を食べているから鯨がかわいそうで、彼らが牛を食べても、牛がかわいそうじゃないというのはおかしい。あれはベトナム戦争における枯葉作戦のスキャンダルをアメリカが隠すために、鯨の問題を持ち出して日本を攻撃しているのだというのです。本当かどうか知りませんけれど、水産関係の人に聞くと必ずそういいます。
しかし、この議論で一つ抜けているのは、畜産の方は再生産のメカニズムができあがっているのに、水産はそうではないという点です。家畜に子供を産ませて、それを育て、それにまた子供を産ませるという再生産のメカニズムが畜産にはあっても、鯨にはそれがない。鯨の方はまったく野放しで、野生になっていて、その生産をどうコントロールするかというシステムがまだ確立していません。その点がおそらくある種の西欧人から見ると、捕鯨は野蛮だと見えるのかもしれません。捕鯨は狩猟であって、狐や野鳥を獲るのに似ているのではないでしょうか。あれも獲りすぎれば絶滅しますから、それに近い感覚でいっているのかもしれません。
つまり、水産はまだ掠奪生産が捕獲技術の基本になっている。そこにあるから採るだけです。そういう意味では水産は鉱業に近い。鉱業はそこに石油があるから採ります。なくなればそれでお終いです。しかし、そこから先、両者は違ってきます。水産物は生物ですから、再生産(reproduction)が可能ですが、石油は燃焼してしまえば再生産できません。もっとも、石油は燃やしてしまえばなくなりますが、金属によっては一度使ったものをつぶして使うことはできます。ですから、一長一短ですが、水産は生物を対象とする生産方法としては再生産システムを確立している農業の域に達していないということになると思います。
4:水産業の三つの方法(増殖、養殖、栽培漁業)
そこで、水産の生産方法を考えていきますと、三つの段階があります。掠奪漁法が基本にあって、そこにある資源をいかに効率よく捕るかということだけに技術開発の関心が集中します。これは船舶の能力に応じて「内水面漁業・沿岸漁業」、「沖合漁業」、「遠洋漁業」と展開してきました。戦後、労働賃金が上がっていく段階では、そこに省力化技術が入ってきて、機械化が進みます。あるいは、海の上の作業ですから安全確保が重要で、その技術開発も進みます。そして、音波で魚群を把握して、それを根こそぎ捕ってしまうという掠奪生産の最たる形にまで発展してしまいました。