したがって、パニック防止のために、最悪の事態になっても、食料供給は大丈夫だというシナリオを作成して国民に知っておいてもらう必要があります。その場合参考になるのは、栄養バランスさえよければ、伝統的日本食でも大丈夫だという認識です。
しかし、そういうことを言ったものですから、私はさぞかし自由化反対論者だろうと思った方が多いと思います。しかし、私はむしろ自由化推進論者です。自由化問題は食料輸入が全面ストップする次元の問題ではなく、もっと平和な状況の問題です。私は「食料の安全保障」と並んで「市場原理」の重要性を強調しているのです。この場合は、「食料危機」より「環境保全」や「雇用維持」の観点から、「市場原理」との妥協を計らなくてはなりません。
「価格メカニズム」の最も優れた点は人間に「資源の適正配分」を示唆してくれる点だと思います。人間の欲望がどんなに多様化し、高度化していっても、地球が有限である限り、人間はどんな場合でも資源の有効利用という問題を避けて通れません。収支バランスを失うわけにいかないのです。そういう意味で「市場原理」は尊重しなければなりません。これを軽視して失敗した例は旧ソ連に代表される社会主義国家であったと思います。
けれども、「市場原理」はあくまでも人間が理想とする「価値」の実現手段であって、目的ではないと思います。「価値」を実現するためには「市場原理」だけで解決できない問題が出てきます。たとえば、飢饉の時、「市場原理」だけに頼れば、金持ちだけが生き延びて、多くの人は餓死しなくてはなりません。そのような問題にどう対処したらいいか、その対策が「安全保障」なのであって、いってみれば空中ブランコのセイフティネットのようなものです。空中ブランコだってセイフティネットがなければ、快心の演技はできません。「市場原理」もセイフティネットの上で運用しなければ、その機能を完全に発揮できないでしょう。
昭和50年代、「東京ラウンド」の後、オレンジ、牛肉の自由化が問題になりました。私はこれに対して「段階的自由化」を提案しました。オレンジ、牛肉の輸入には割当枠がありましたが、「段階的自由化」というのはその枠を徐々に広げて、やがて自由化と同じような状況になったときに自由化宣言をすればよいという提言です。しかし、マスコミはこういう生ぬるい議論は好きでない。意見を完全自由化か完全自給かという両極論に分け、その口角泡を飛ばす激論に迫力を感じるようです。私の提案はあまり顧みられませんでした。ただ、後からアメリカ大使館勤務の人から聞いたのですが、当時のマンスフィールド大使が私の論文の英訳をアメリカ国務省に送って、それがアメリカ側から逆提案されて、日本がそれを呑むという妙な形になったというのです。日本では「段階的自由化」を「段階的輸入枠増加」と表現していました。
平成5年に決着をみた「ウルグアイ・ラウンド」では、日本のコメの関税化が問題になりました。コメの輸入は政府の許可があれば可能であって、禁止されていたわけではありません。しかし、当時有効だった「食糧管理法」は政府によるコメの全量管理が建前でしたから、輸入を割当という決まった数量で許容することは構わないのですが、輸入数量のはっきりしない関税化はできなかったのです。したがって、コメの関税化をするためには、まず「食糧管理法」を改正する必要があります。