私はそのとき、本当にそうなのだろうかという疑問を持ちまして、ある計算(線形計画法)をしてみました。その結果は今になってみますと、ほとんど常識なのですが、要するに栄養の問題というのは、バランスさえ良ければいいのであって、とくに「洋風化」しなくてはならないということではない。栄養を提供する食料にはいろいろの種類があり、その組み合わせや調理によって、日本食とか洋食とか中華料理とか違いが出てきますが、栄養的にはその料理における栄養バランスが問題なのであって、洋食が絶対にいいとか悪いとか、そういった問題ではない、ということです。これは日本食、とくにコメと魚介類を見直そうというひとつの風潮を惹き起すきっかけになりましたが、その後、日本の「食料の安全保障」にとっても重要な考え方になったように思います。
ちょうどその頃、「ガット・ケネディ・ラウンド交渉」で日本に対して自由化圧力が強まってきました。日本は経済状態が改善され、為替管理をしなくてもよくなりましたので、IMF8条国に移行し、自動的にGATT11条国になりました。食料も輸入ないし自由化せよという状況に転換してきたわけです。その結果、今日にいたるまで食料輸入は増加し、「食料自給率」は著しく低下してきました。
昭和40年代のことですが、当時、農水省が採用していた「食料の総合自給率」の計算方式は、食料を卸売価格で金額換算して、その合計値によって国内消費に占める国内生産の割合を求めるというやり方をしていました。しかし、金額換算は貿易収支の観点からは重要ですが、「安全保障」の立場からはむしろ栄養換算の方が現実的なのではないかと考えまして、その計算をしてみました。「栄養自給率」はその当時まだ6割ぐらいありました(現在は42%)。それでも金額で計算する場合よりはるかに低いのです。自給できる栄養は熱量にしてだいたい一人1日1500キロカロリーぐらいありました。これは「安静時の熱量所要量」をほんの少し上回る程度です。
人間は寝ているときでも生きているのですから、栄養は必要です。この生存に最低必要な熱量を「安静時の熱量所要量」といいます。これは成人一人1日約1400キロカロリーといわれますから、歩留まりなどを考えると1500キロカロリーは限界だということになります。もし日本の食料輸入が完全に止まってしまった場合には、国内生産は当面「安静時の熱量所要量」しか供給できない。日本人はみんな布団を敷いて寝ているよりしょうがない、ということになります。私は昨夜、国内で生産された栄養1500キロカロリーで寝て生きていましたけれど、現在喋っているこの声は、外国から輸入した1000キロカロリーによるのであって、輸入が止まったら私は声が出なくなってしまう。これはマスコミに大変うけまして、昭和53年にはNHKが私の監修で「食料輸入ゼロの日」というセミドキュメンタリーを作りました。
また、この計算に基づいて、昭和46年には「安全保障としての食料」という論文を『食糧管理月報』に書きました。「食料の安全保障」という言葉は、当時の異常気象による世界的食料不足とも絡んで、その頃から流行語になったのです。日本への食料輸入が全面的にストップするようなことは現実には滅多に発生しないのですが、それが短期的にしろ、食料輸入が途絶すると、食料自給率がきわめて低い日本では国民はパニックにおちいってしまいます。