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それは、アメリカ人の占領下か、返還ちょっと前かと思いますけれども、ガルフは韓国とか日本とかに油を売ろうとしていたわけです。それで、沖縄ターミナルをつくった。それを結局日本側が買ったわけです。ガルフはなぜそういうことをしたのかといいますと、アメリカの船員のコストが上がりすぎて、もっと高効率な船にしなければアメリカ船員は乗れないということで50万トンシステムを作った。それがひとつですね。

高瀬 私の推測だけれども、ULCCがはやった頃は、バレル1ドル以下で運賃の割合がものすごく高かった。だから意味があった。しかし、それが20ドルになり30ドルになったときに、その一回の取引単位としてもすでに大きくなりすぎた...。

曽我 それについては、私はこういう推測をしております。確認はまだしておりませんけれど。オイルショックがその直後にあったんです。オイルショックがあって、原油の消費量が相対的に減った。一方で、それ以前には、どんどん消費量が上がっていくということで、船の新造船の予約は5、6年続いたんです。それで、どんどん船が生産された。ところが船が出来た頃には、原油消費量がそんなに増えない。それで余ったんです。余っていたから造れなかった、というのが真実ではないかと推測しています。そして暴落したわけです。おっしゃられるように。フレート(運賃)が暴落したわけです。そうすると造る経済性もない。ただし、その時、日本勢の造船業サイドは100万トンタンカーのシミュレーターまでこしらえていた。50万トンでは済まない時代が来るだろうというふうな世界に行こうとしていたと、その長老の方はおっしゃっていました。

いま同じことを日本人はやっているわけです。コストが高くて日本人は船に乗れない。だからもっとその先を、日本人が行かなければいけなかったのに、ストップした。

今は、高効率のひとつの手として帰り船を考えないといけない。これに気がついたのは、サウジアラビアが二年前にやったからなんです。自分のところの製品が非常に窮屈になってきた。30%資本参加したサンヨンというリファイナリーが韓国にありますけれども、そこに原油船をつけて、その帰り船に重油をのっけたんです。重油はシンガポールのエクソンに降ろした。一方、中東でナフサが余っていてこちらに来ていますけれども、その帰り船にガソリンを載せて帰ったんです。一年間ぐらいそれをやったんです。それで気がついたのは、日本ももっと高効率にして、日本人が船長をやれる仕組みを作らないといけないということです。そして教育もしなければいけない。

サウジでは、中国のダブルハルタンカーの危険性など考えにありません。そういう危ない船がマラッカをどんどん通行していくことを減らすためには、高効率船で遠くまでいくものは日本主導でやるべきです。船員は、たとえばベトナム人が乗るかも知れませんけれども、みな沖縄に連れてきて大学でみっちり教育したらいいですね。そういう混合船で全世界から安い原油を持ってくるという仕組みを日本が主導して作るべきではないかと考えています。

 

33:何のための備蓄か

 

それで、何のための備蓄かという話にもどりますが、ひとつは今までお話してきたことです。1997、98年に欧米に行く原油の価格と、アジアに行く原油の価格が違うという東西価格差がついた。

 

 

 

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