しかし、あえてそれを無視して「自由通航である」と条約に書いてあるなら、「これは自由通航じゃないか」と私は申し上げたんです。
私自身としては、資源水域を認めた以上は、そこでは、公海とは異なる何らかの規制はあってしかるべきだとは思うんです。そうならば「経済水域○○通航権」が必要じゃないか。
39:国連海洋法条約の2004年改訂までに日本がなすべきこと
国連海洋法条約には、2004年に改訂の時期がきます。その時に、はっきりとこちらのほうで主張しないと、結局はこれが「無害通航権」のようになってしまう。すると、プルトニウム船が経済水域を通ることは「有害だ」という議論になります。これでは、むしろ領海と同じような通航地帯になってくる。そういうことは非常に大きな問題だと思いましてマニラでしゃべっているうちに、川村提督とか小川さんたちと仲良くなったわけです。
40:ポリシーを政策に優先させよ
小川 このあいだのマニラでの会議では、ポリシーと法律の関係についての議論がございました。国際法に関する二つの見方がある。どちらを上位概念としてとらえるかで、国際的には2派あるということでしたが。
大内 国際法の講座を教えておられる先生方を前に、おこがましいと思うのですが、はっきり言いますと、私はアメリカ国際法なんです。
アメリカ国際法は、最近はエール大学で教えられたものがずっと広がってきてまして、これをニュー・ヘイブン・スクールと言います。総帥は一昨年の10月に亡くなられたマクドゥーガル教授ですが、マクドゥーガル教授は非常にはっきりした、ある意味では保守的な国際法、これは「アメリカにとって有利な国際法」とも言われてますが、それを提唱した。そのために世界的に非常に憎まれています。「マクドゥーガルはアメリカの国益を守るための国際法を述べているにすぎない」と批判されたのです。
例えば、ビキニ原爆実験のときに、マクドゥーガル教授は日本では総スカンを食いました。あの頃はもう数十年前の話ですから全然時代が違います。冷戦のさなかという状況を考えて下さい。外務省をはじめ全ての国際法学者が彼に背を向けた。なぜかというと、教授は「おれたちはなにも悪いことをしているんじゃない、米ソの対立の中で力の均衡を維持するためにはアメリカの水爆実験はやむを得なかったんだ」と言ったのです。今となれば、マクドゥーガル教授は批判されるべきなんですが、当時は冷戦たけなわの頃であったから、はっきりしたポリシーが世界の外交舞台ではむしろ公然と支持されていた。それは、アメリカの力にバックアップされた国際法理論であったのです。アメリカ外交が本当に世界中で支持されたかどうかはともかく、アメリカは現実的理論として押し通した。
マクドゥーガル教授や僭越ですが私と日本の国際法学者とは立場が違う。それは、「国際法の妥当性が結局ポリシー如何による」という考え方そのものにあるんです。日本の国際法は、横田喜三郎先生をはじめとして、まず法ありきですね。法があって、その法そのものに内在する有効性が問題にされる。