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そして時代をくだると、江戸後期の『江戸名所図会』では、空間的要素が8割になり、宗教の場としての寺社から物見遊山の場としての寺社へと変化し、町屋が加わってきている。さらに幕末期の『絵本江戸土産』では、空間的要素が3割強と減少し、建築は3割強、時間的・人文的要素との複合で成立する名所の割合が増加する。

この現象は、ガイドブックや旅の普及とともに、ひとびとには空間的要素の知識は不必要になり、人文的要素が欲望されるということを物語っている。それが、ガイドブックの「再生産」の過程であるといえる。つまり、その構成は都市生活者が自ら演出した「ハレ空間」であり、その流通は社会全体へ同時代的に社会的に共有されたイメージをうんでいったのである。

前章で分類した結果を、渡辺の要素分類に大分すれば、「建築物」「内装」「交通」「まちなみ」「自然の景観」は、明らかに空間的要素といえる。したがって、空間的要素が9割強をしめる『実記』は、まさしく初期段階のガイドブック・案内記であったと位置づけられよう。『実記』は、諸外国という新たなる空間のもとで、「ハレ空間」として、社会的に共有されるイメージを生産していた。ここでは読者に新たなる欧米流の「文化コード」とイメージを提供し、均質化され、それらは年月のなかで流通され消費され再生産され、ふたたび流通され、すこしづつ形をかえながら、現代にもいまだ生きつづけているのではないだろうか。

 

むすびにかえて

日本の文化としての「旅」は、実際の旅の経験をつづる「旅行記」だけでなく、陰喩的な「歌枕」、直接喚起する「案内記」として発達してきた。それは、飛鳥時代の万葉集や風土記までさかのぼることができる。しかし、そこで語られたのは、日本国内か中国の景観であった。江戸時代の鎖国中は、長崎の出島という、小窓をとおして垣間見る西洋であった。それらは、あまりにも少なすぎる情報であり、それもごく限られた人々にのみ供給されていた。

しかし開国後はひとびとの視線は、「黒船」に代表される西洋の脅威にむけられ、勇気ある者は実際に西洋に旅だっていった。彼らは西洋のさまざまな姿に驚嘆し感動した。しかし彼らエリートたちは、この景観をみたらおぼえるべき「文化コード」を持ち得なく、ただ驚いたばかりであった。それは、前出の福沢諭吉のことばでうらづけられている。『実記』が提供した欧米の図版は、「文化コード」を提供し、それを均質化する役割を担ったといえよう。

本稿では、『実記』の図版のみをとりあげ、それを分類・考察したが、本文と図版とのリンク作業は論を改めて分類・考察する必要がある。この作業ではじめて、『実記』の役割が明確になりうる。同様に視覚的ガイドブックの再生産の課程として、『実記』以降に渡欧・渡米したひとびとの「欧米の風景」を知る作業も重要である。

 

 

 

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