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2-2-3. 歴史物

歴史物は、すべてイタリアの掘土物で「ポンペイに掘出せる古画」洞(ポンペイ)古死屍」「大伴氏の使者の署名の写し(1615年2月24日とあり)」(第3編所収)である。前二者については、ローマ時代の遺物として保存状態のよさに、感服したのであろう。遺物を自由に観覧できる、そのシステムに学ぶべきところがあったのであろうか。後者は、前者と同様の感服と、時間的空間的な隔たりがあるのもかかわらず、この地で日本人の足跡にふれることができた喜びであろうか。

 

3. 図版のあたえたもの

 

3-1. 国民に「見せたかった」欧米の景観

前章で、図版のうちわけを検証したが、そこから国民にもたらされたことは、つぎの4点に集約されよう。

第一に、交通手段の重要性である。

第二に、工業の重要性である。

第三に、公共機関・学校・病院の整備の重要性である。

第四に、歴史的な遺跡などの文化や自然の紹介である。

使節団が学んだ先進の大国となりえる条件は、陸・海ともに発達した交通網をもつことであり、工業の発達である。国中に張り巡らされた鉄道網、世界進出を可能にする港湾施設、これらは人間の輸送手段というだけでなく、工業用の原材料や製品、農業生産物の輸送手段としても重要なものである。他方国民サービスの面でも、官庁や学校や病院を、近代的な技術をとりいれ、早急に整備することが重要であるという認識をもった。

しかしこれらの図版でもっとも重要なのは、第四の文化と自然の紹介であろう。とくに注意しなければならないのは、これらの図版が当地で流通していたものであったという点である。つまり、「欧米人の視線」での欧米の文化や自然景観を、そのまま輸入したという点である。日本人的な視線で選択はされているものの、視線の方向は欧米における「当然の見方」だったのだ。明治期、日本に滞在した欧米人たちはみずからの文化コードに基づいて「日本」を発見した。その代表的な例は、宣教師W.ウェストンの「日本アルプスの発見」であり、お雇い外国人教師フェロノサの「日本芸術の発見」であった。使節団一行はトラベラーであったから「発見」は無理だったとしても、欧米流を直輸入で受け入れたという事実は確かなことである。

 

3-2. マスメディアとしての役割

さきの章でふれたように、『実記』は政府から国民へのメッセージである。そのメッセージの意図は何だったのか。前述のフルベッキによる大隈重信への進言の「必要とあらば」ということばからもわかるように、必要に迫られたことから1873年(明治6年)の帰国後、5年の歳月を経て1878年(明治11年)発行にいたったのである。メッセージの意図として、つぎの二点が考えられる。

 

 

 

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