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第5編には、一行の訪問当時開催されていた「ウィーン万国博覧会」関係の図版が収められている。日本も「日本庭園」(建築物−公園)を出展していた万国博覧会の様子が、図版4枚で説明されている。

 

2-1-12. スイス(第5編)図版26枚

掲載されているのは、アルプス山系の登山鉄道(交通)と自然の景観(自然の景観)とまちなみ(まちなみ−都市・−村落)とである。点在する都市との間にひろがる自然の景観と村落のまちなみが、繰り返しとりあげられている。ベルン・ローザンヌ・チューリッヒ・ジュネーブの都市とその都市機能をはたすもの(建築物−公共機関)、スイスアルプスの山々、レマン湖畔の風景が掲載されている。

 

2-2. そのほかの図版

注目すべき図版は、数こそ少ないが「民俗」と「工具」と「歴史物」という分類項目である。

 

2-2-1. 民俗

民俗に関しては、アメリカの「インディアン」(第1編所収)と帰航日程の「エジプト人」(第5編所収)であった。なぜ、「インディアン」と「エジプト人」をとりあげたのか。

「インディアン」については、明らかにアメリカ政府の意図的な演出によるものである。当時、アメリカ政府は、原住民であるインディアンに対し、対外的には融和政策をとっていた。それは、インディアン居住地域をつくり、西部開拓者たちから守るというものであった。しかし、事実上は「囲い込み政策」にほかならない。しかし、アメリカ政府としては「原住民」の保護という体裁であり、そのアピールであったと考えられる。本文中には、インディアン資料館での、インディアン酋長に対するインタビューも載せられている。『実記』のなかのインタビュー記事は、これのみである。しかしながら一行は、原住民と友好関係を築くことの重要さの認識と、日本人と風貌も生活習慣も似ていることから親近感を抱いていたようである。日本でも、アイヌや沖縄の人々との友好関係が、課題であったからであろう。

「エジプト人」については、アラビアンナイトさながらのエキゾチズムただよう図版である。当時エジプトは、エジプト政府の財政難とスエズ運河株式会社の株券買収により、イギリスとフランスの内政干渉にあっていた時期であった。同時にスエズ運河の図版も掲載されている。

 

2-2-2. 工具

工具は、イギリスの「鼓風がいの図」(第2編所収)である。堅(縦)・横・外側・内側からの図である。鼓風がいとは、製鉄に使う工具である。殖産興業を国家政策として掲げる明治政府にとって、工業技術は必須のものであった。産業革命を世界で最初に達成したイギリスの重工業技術は、特に学ぶべきものがあったと考えられる。食品などの軽工業の工場は建築物として外観がほかの巻にも掲載されていたが、工具はこれのみである。

 

 

 

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