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時代劇などで見ると、戦国時代の戦争は、「ヤァヤァヤァ我こそは……」という言葉を大将が発してからはじまっている。これは、日本人独特の「相手を敬う」精神そのものだと思う。剣道には、この、相手を敬い礼をつくすという良い習慣が現代にも残っている。こんなに礼を大切にするスポーツは、他にそう多くはないと思う。

今の社会、「礼」が欠けているとよく言う。僕の周囲を見回しても、ムスッとして無愛想なのがカッコいいと思っている人や、目上の人に失礼な事を言っても気づかない人を、よく見かける。また、最近敬語が無茶苦茶になってきている―これは、よく報道されている事だ。

「おはようございます」「ありがとうございました」「失礼します」などの、最も基本的なあいさつさえ、言えない人が増えてきているのではないか。

僕の目は、剣道を始めてから少しずつ社会に向けて開かれてきたように思う。少しずつ、少しずつ世界の広さというものが見えてきた。

僕が剣道を始めたのは、中学に入ってからである。夢中で竹刀を振っていた日々も過ぎ、汗が滝のように止まらなかった夏、足の感覚がなくなるかとさえ感じた冬をこえ、2回目の夏がめぐった。この夏に待っていたのは、僕の中学の剣道部の廃部という出来事だ。剣道部は、好きな剣道が出来るだけではない、僕にとっては特別なものだった。素晴らしい先輩との出会い、良い仲間を作り、練習に励んだ日々、それはかけがえのないものだった。少子化による各クラブの廃部は、別に珍しい事ではない。しかし、それが自分のことになると、これほど、辛く悔しいものだったとはー。まるで自分の居場所を失ってしまったような思いをしたのだった。

その後、陸上部などに入った仲間もいたが、僕は結局、週三回の道場での錬成と、自宅での稽古を重ねる事を選択した。剣道以外に熱中するスポーツが、今の僕には見当たらなかったからである。

幸せな事に、僕は父から剣道を教わる事ができる。父の高校時代、それは、剣道一色だったそうだ。父は山の中に工房を持っている。夏休みの間、そこは、僕の良い稽古場になった。父の稽古は基本に忠実で、ひと夏でずいぶん力がついた。ある日父は、三十年ぶりに面をつけて道場に立った。その姿は、僕の見た事のない父だった。僕の目には、いつもとちがう、大きく、強い父が映った。今の僕は父の前ではただ竹刀をガムシャラに振り回しているだけだ。だが、いつかきっと、きれいな面を取ってあざやかに二本勝ちしたい。

今、二十一世紀が目前にせまってきている。そして、激動の二十世紀が終わろうとしている。僕は、つい最近まで、時代というものは自然に流れ、自然に変わるもののようにとらえていた。しかし、今僕は気がついた。時代は、苦心して切り開いていくものだと。僕達の世代は、新時代を作る中心となるのだと。

日本の伝統を伝える剣道。この、長い道のスタートラインに立ったばかりの僕の未来も又、苦心して作り上げていくものなのだろう。

「礼に始まり、礼に終わる」この言葉の本当の意味は、今の僕には分かりません。この言葉を深く理解し、自分を高めるためにも、僕はいっそう稽古に励みたい。

 

 

 

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