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「私、剣道やりたい。」

と、言い出し、父に頼んで建武館道場へ、練習を見に行きました。初めて感じる、きん張感のある空気、おなかの底まで響く声、竹刀と竹刀のあたる音、何もかもめずらしく、練習から目が離せなかったのを覚えています。先輩や先生方はとても優しくて、私は、剣道にのめりこんでしまいました。しかし、防具を付けて、稽古を始めると、面や胴が重くて動けなかったり、竹刀も思うように振れません。苦しく、きついこともあって、道場へ行く日は、足が鉛になったかと思うほど、重く感じました。そんな様子を見ていた父は、

「志保、剣道は、自分で始めたいと言って決めたことだよ。ここで、苦しいからと言って逃げると、何をやっても夢など達成できないぞ。それでいいのか、大切なことは、薄紙を一枚一枚、張り重ねる様にコツコツ努力すること、それが、夢の実現になる。志保なら、きっと出来るよ。」

それを聞いた時、幼かった自分の中の、何かが変わりました。それから、練習日は、早く準備をして行くようになり、前にもまして気合が入って、一生けん命稽古に打ち込む様になりました。気持ちがくじけそうになった時、父が言った「自分で始めると決めた事だ。逃げるな、志保ならきっとできる。」あの言葉が、頭の中で何度もくり返されていました。

一年生の秋、市内の武道大会があって、私は、初めて試合に出ました。どんな子と試合するのか、ドキドキしながら長い間待って、試合は、あっと言う間の二本負、面をはずしたとき、くやしい思いよりも、なぜか楽しかったことを覚えています。

今年、十月二十八日は、前愛媛建武館館長、故真鍋弘先生の命日です。早いもので先生が亡くなられて、一年になります。父と二人でお墓にお参りしました。私は今も、あの日の悲しみは、忘れる事ができません。

新しい道場が完成して、間もないころでした。館長先生を始め、先生方や先輩、そして私達も張り切って、稽古に励んでいた矢先の事です。館長先生が体調をくずされて入院、その後、手術をされて、本当に不安な日が続きました。東京大会の愛媛県予選の日、病院から無理をして開会式に出席されて、最後まで役員席で私達を見ていて下さいました。手術されて、数日しかたっていないのに、とても苦しかったと思います。先輩達も、よくがん張って予選に勝つ事が出来ました。夏休みに入って、館長先生は、先輩達をつれて、

「東京大会へ行く。」

と、おっしゃって退院しました。先生方や、保護者の方達が大変心配していました。座っていても苦しそうなのに、大丈夫なのかと心配です。強い責任感で行かれたのだと思います。

館長先生は、大らかで、全てを包み込む優しさがあって、稽古をして下さる時は、厳しい方でした。そして、私達にはむずかしい事はおっしゃいませんが、お話の後で、少しはにかむ様子が大好きで、厳しい稽古のつらさも忘れてしまいます。私の父も指導者の一人ですが、私には、とても厳しい先生です。強くしかられた時は、いつも館長先生が、優しくさとして下さいました。

今年、六年生になって、私達のチームも、春から少しずつ良くなって、東京大会に出場する事が出来ました。あこがれの『日本武道館』開会式は、まるで夢のような光景です。前総理大臣の橋本先生がおっしゃった、「君達がうらやましい。」の言葉が思い出されます。子供のころ、大好きな剣道が禁止されていたなんて、本当につらかったと思います。

 

 

 

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