日本財団 図書館


父は最近、ぼくの様子を見て、「勝たなくてもいいから、いっしょうけんめいやればいい。」とたびたび言ってくれますが、試合になるとだめです。剣道は、本当にむずかしいと思います。いっしょうけんめい練習しても、おぎなえない気持ちの部分が大きいからです。

この夏休みに、京都府下大会、チームが一年間この大会で優勝することをめざし、がんばって練習してきた大会がありました。創部三十五周年で、はじめて優勝できました。

この日、ぼくは、決勝戦まで思うような試合ができませんでした。決勝戦の前、父を囲み、選手五人で円陣をくみ、「これで最後だ一人一人くいのないように、精一杯やって絶対に優勝しよう。」とみんなでちかいあいました。決勝戦で、ぼくは、無心で思いっきり相手にぶつかっていきました。すると、この日で一番いい試合ができ、チームは、念願の初優勝をしました。

どうやったら、こういう試合ができるのか自分では、まだわかりません。しかし、これが、父のいう「己に勝つ。」という事なのかもしれないと思いました。

 

『私の限界』

 

011-1.gif

 

岐阜県羽島郡

悟道館後藤道場

小学六年生

亀水千鶴

「自分の限界までやってみろ。」

とけいこ場に先生の声がひびきわたることがある。つらいけいこに、自分自身が自分の力を全て出しきらないでかかっていく時、いつも同じことを言われます。

みなさんは、自分の限界がどれくらいかわかりますか。私はだれもが自分の限界を知ることはできないと思います。剣道歴三年半。悟道館後藤道場へ通い始めてから、剣道を通してたくさんのことを教わりました。『限界』という言葉は今の私には大きな二文字となりました。

今年、私たちと先生の間には一つの約束がありました。どうしても優勝しなければならない大会があったのです。その大会へむけてけいこにはげむのはもちろんですが道場の子、お母さん方全員で優勝への願いを込めながら千羽鶴をつくり神社へ参拝に出かけたりしました。試合に出るのは、限られた人数ですが道場の子全員で戦う思いでいっぱいでした。

「何をしてるんだ。」

という大声とともに『ドン』というにぶい音がした。大会を次の日にひかえ、選手全員がピリピリしている中、先生は必死だった。懸命だった。右手を痛そうにかばいながらも練習はつづけられた。練習後、骨折されていることを知り私はおどろきで体がふるえた。帰りの車の中で私は

「先生への優勝の気は、骨折した手の骨からきっと私たちの体の中へとびちってきているにちがいない。先生の気をもらってがんばるしかない。」

と思いました。当日、私は今まで自分に感じたことのない気につつまれていた。結果は準優勝でしたが、全員が次につなげられるよう無心で戦った。くいはなかった。私はこの時の先生の白い包帯となみだを千羽鶴とともに忘れることはできません。先生は自分が手本となり限界までがんばる姿を私達に示してくださったのだと思います。その後あこがれの武道館での全国大会で三回戦まで勝ち上がれたのも、きっと自分たちの力を信じて限界まで戦った結果だと思います。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION