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そして五年生の夏には、全日本少年武道錬成大会の選手として、出場することができました。また、六年生になって道場連盟主催の全日本少年剣道錬成大会など、ひと夏で二回も日本武道館で試合をすることができました。

私はこの剣道を通じて体験したり学んだりした事をばねにして、中学に入ってもだれにも負けない剣道を目標にたくさんけい古をつんで頑張りたいと思います。

 

『ぼくと、父と、剣道と。』

 

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京都府京都市

太秦少年剣道部

小学五年生

下井康弘

わが家と剣道のはじまりは、若い頃、仕事でケガをし、左手が不自由になった祖父と、子供のころ、病気で左足が不自由になった祖母が、長男であるぼくの父に、強く礼ぎ正しく、たくましい人間になってほしいと思い今、ぼくの通っている太秦少年剣道部の川口先生のもとに、小学校の時に、つれていったのです。

父は、大学卒業まで剣道をし、六年前太秦少年剣道部のお手伝いに通い始めました。その後、ぼくが小学校に入学する時に、「おまえも剣道をやってみないか。」と勧めました。他の友達が、サッカーや野球をやっているのを見て剣道は、少しかっこわるいかなと思いましたが、まあ、いいか、と軽い気持ちで「やってみるわ。」と返事をしました。

家では、よく遊んでくれるめんどうみのよい父でしたが、道場へ入ると、父から先生へと変わります。道場で、いらぬ話をしているとまっすぐにぼくの所へ来て、他の友達は一発だけたたかれ、ぼくは、二、三発たたかれます。かかりげいこなどのしんどい練習の人数が足りないと、さっきやったばかりなのに「おまえ、もう一回行って来い。」と声がかかります。試合で勝ったら、指導者の子だから当たり前、負けたら「なんで?」と思われているような気がして、ぼくの精神的プレッシャーは大きいものでした。軽い気持ちで入りましたが、父と同じ道場でやる大変さを年々感じています。

しかしぼくは、運良く全日本少年錬成大会の京都代表の権利をいただきました。決まったしゅんかん、竹刀をもつと人が変わる父が、目にいっぱいのなみだをこらえ、「おめでとう、よくやったな。」と言ってくれた時、「今までがんばってきてよかった。」と心の底から思いました。ぼくは、今年七月、はじめて日本武道館へ行きました。あの十六コートもある広さ、何万人も入る観客席、照明の多さ、高さ、上を見るとまるで、あり地獄にすいこまれるありのような気持ちでクラクラしてきました。結局、ぼくは、ふんいきにのまれて負けてしまいました。負けて帰ってきたぼくに、父は「技術的には負けてはいない気で負けていたな、剣道は、気の部分で左右されることが多いから、どんな相手とやる時も、気だけは、負けるな。」と言われました。父の言っている事は、頭ではわかっているのですが、あれからぼくは、カベにぶつかっています。練習は、前よりたくさんやっています。しかし、試合になると「京都代表になったのだから、へんな試合はできない。」とか「負けたら父におこられるなぁ。」とか、いろいろなプレッシャーがかかって思うように体が動きません。

 

 

 

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