次に、被害ごとにその被害が発生する確率の合計を集計します(6]b)。
最後に、累積確率値に集計し直します(6]c)。例では、けが人〇人以上、四人以上、九人以上の三種類に集計しました。
7] 結果の検討
一通り計算した後、精度が十分かの検討をして、不足ならさらに調査をして必要な精度になるよう修正します。
8] グラフの作成
最後に以上の結果をまとめて、グラフを作成します。それでは、いよいよ実際にタイタニック号事故の解析に入ります。
どんな事故だったのか
まず、この事故はいったいどういうものであったのかを振り返ってみたいと思います。この事故の詳細についてはいろいろな説がありますが、ここでは、事故の後に英米政府によって行われた調査の公式報告書を主な資料としてその概要を述べます。
タイタニック号は当時の最新鋭の技術を駆使した大型豪華客船でした。そして一九一二年四月十日、予定より約一カ月遅れて初航海に向けて出航しました。もし予定通り三月に出航していれば、流氷が南下する量は少なく、タイタニック号が氷山と衝突する可能性も小さかったのではないかといわれています。
次に、出航日に出航が予定より一時間遅れました。もし予定どおり出航していたら衝突後に救難無線を発した時刻が夜中の十二時前になり、周辺の船舶がすみやかに救助に駆けつけることができたかも知れないといわれています。というのは、当時は十二時前後には無線業務を終了することが多かったからです。
出航後、流氷原が行く手の海域に存在するという警告を他船から複数回にわたって受けていましたが、船長は減速することなくおよそ二一ノットの高速で航行を続けました。
その後、午後十一時四十分に氷山に衝突してしまいます。氷山を発見したときにはすでに約四五〇メートル手前まで迫っていました。この夜は月齢26.1の新月に近い暗闇であったことと、無風で鏡のような海面であり、氷山の周囲に白波が全く立っていなかったことも発見が遅れた原因でした。さらに、見張り員が双眼鏡無しで見張りを行っていました。ただし、この夜の条件では、双眼鏡があっても氷山の発見には有利にはならなかったとの意見もあります。
氷山を直前で発見した後、タイタニック号はただちに回避行動をとりますが、スクリューを停止して舵を最大に切るという操作をしたこともあり、船腹をなでるように氷山と衝突してしまいます。そのためかえって船体の多数区画の損傷を引き起こして多量の浸水をもたらしてしまいました。
氷山との衝突の後、すぐには救難無線を出さずに午前零時十四分になって初めて救難無線を発しました。しかし、タイタニック号から一九カイリの距離にいたカリフォルニア号の無線のスイッチはそのときには切られており、たまたまスイッチの入っていた五八カイリの距離にいたカルパチア号が救難無線を受信し救助に向かいました。
午前零時四十四分には信号灯を打ち上げ、カリフォルニア号の乗組員がこの信号灯を視認したといわれていますが、信号灯の意味するところを理解せずに救助には向かいませんでした。午前二時二十分にタイタニック号は沈没してしまいます。最初の救助船であるカルパチア号が到着したのは午前四時十分ごろでした。最終的に救助されたのは七一一人であり、一、四九〇人もの人命が失われました。
タイタニック号事故の解析
それでは、この事故にイベントツリー手法を適用して解析をおこなってみます。
1] 情報収集
タイタニック号事故に関して、なるべく多くの情報を収集します。事故報告書や裁判記録、設計時のデータや当時の社会状況まで手に入る限りの情報を入手して事故の分析を行います。その際、関係分野の研究者や実際に船の運航に携わっている方々の意見も参考にします。
2] 分岐項目の選定
次に、事故に対して大きな影響を与えたと思われる要素を選定します。