紫の上をはじめ愛する人々を都に残して、光源氏はひとり傷心のうちに隠栖の地須磨に向かったのでした。
須磨の住まいは昨日に変わる、茅葺きの屋形に葦を葺く渡殿などわびしさにまた涙です。
……ひとり目をまして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。
「須磨」の帖は自然のわびしさとともに、そこに身を置く光源氏の君の心情をしみじみと綴って余すところはありません。
数少ない近習も眠って、源氏はひとり四方の嵐の音を聞いていると、波がすぐ近くまでおし寄せるような気がし、悲しさが一入(ひとしお)こみあげて、落ちる涙に枕が流される思いがするというのです。
わびしい須磨の秋の海、そして非情な波音が不遇の源氏の心につきささるのです。
ここでもまた、平安文化の真髄である、自然がもたらす人間心理の深奥に与える翳りの表出をみることが出来ます。
自然の海鳴りが心に与えたもの――光源氏にはそれはもう堪えがたく響くのでした。
●晶子と潤一郎
古来『源氏物語』の訳出は多いのですが、かの情熱の歌人与謝野晶子はこの部分をどう訳出したのでしょう。早くから『源氏』の訳を手がけながら原稿を関東大震災で焼失、再度挑戦し十六年後の昭和十四年に全訳完成の快挙をなし遂げた晶子畢生(ひっせい)の名訳です。
秋風が須磨の里に吹くころになった。海はすこし遠いのであるが、須磨の関を越えるほどの秋の波が立つと行平が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居(たつきょ)の秋であった。(中略)一人の源氏だけがさめて一つ家の四方の風の音を聞いていると、すぐ近くにまで波がおし寄せてくるように思われた。落ちるともない涙にいつか枕は流されるほどになっている。
晶子は『源氏』訳の各帖に歌を付していますが、「須磨」ではこう歌いあげます。
人恋ふる涙をわすれ大海へ引かれ行くべき身かと思ひぬ (晶子)
文豪谷崎潤一郎も『源氏物語』訳に心血を注ぎ、原文に忠実な、そして華麗な訳文を残した人です。
須磨ではひとしお、「心づくしの」秋風が吹き初め、海はやや遠いのですけれども、行平の中納言の「関吹きこゆる」と詠んだ浦波が、なるほど夜はいつもたいそう近く聞えて、またとなくあわれなものはこういう土地の秋なのでした。(中略)独り眼をさまして、枕を欹(そばだ)てて四方の嵐を聞いておいでになりますと、波がついもうひたひたと寄せて来るような心地がして、涙がいつ落ちたとも分からないうちに、枕も浮くばかりになるのでした。
千年の昔、宮廷の女性たちは光源氏のあわれさに思いをはせて涙したことでしょう。
原文はさらに悲しさを綴ります。
琴をすこしかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて
恋ひ侘びて泣く音に紛(まご)ふ浦波は思ふ方より風や吹くらん
都恋しさに泣く光源氏の声が浦波に似るのは海を渡る恋しい都人の声でしょうか。
(第五話終)