文学散歩
海の文学への旅
第5話 源氏物語
〜光源氏の悲しみ〜
尾島政雄(おじままさお)
岡安孝男(おかやすたかお)画
●心の深奥にせまる文化
須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の関吹き越ゆると言ひけむ浦波、夜々はげに近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
『源氏物語』五十四帖のうち十二番目『須磨』の帖の一節で、古来から平安文化の?けはい?を伝えて名文の誉れ高い部分です。肅条たる海のけはいと、不遇をかこつ光源氏の心情とがマッチしてこのうえない淋しさを読む人に与えてくれるのです。
恒武天皇の延暦十三年(七九四)、都は奈良から京都(平安京)に遷ります。平安時代四百年の始まりです。藤原家の権勢と保護によって、文化は限りなく華開きます。
素朴で荒けづりな奈良の文化から、繊細で人間心理の奥底に響く文化へと深化していきます。平安時代の四百年間、戦乱のなかったことが比類のない平安文化を育んでいったと私は思っています。
高まる文化のうねりは『竹取物語』『伊勢物語』『古今和歌集』からいわゆる藤原家の摂関政治の中で頂点に達しました。現存する世界最古、最長の小説『源氏物語』の誕生です。『源氏物語』が表出する世界は、華麗な貴族社会を背景に光源氏が織りなす複雑な人間模様の姿です。
貴族社会になぞらえて物語は展開しますが、登場人物の喜怒哀楽はそのまますべての人に共通する感性です。だからこそ読者は登場人物の動きに一喜一憂し、わがことのように感性を共有するのです。『源氏物語』が千年の時を経て、今なお読者を魅了してやまない秘密はそこにこそあるのです。
●非情な須磨の秋の海
さて「須磨」の帖では、淋しさに堪えられぬ思いの光源氏の心を映す鏡として、?秋の海?が重要な背景となり物語の雰囲気をいやがうえにも醸し出すのです。遠く近くに寄せる夜半の海鳴りは、痛恨にさいなまれている光源氏の心をさらにかき乱すのでした。
桐壷帝の皇子として生を亨(う)けた御子は、その光り輝くばかりの容姿と、帝のかぎりない慈しみにつつまれて、貴公子光源氏の君として何ひとつ欠けることなく成長していきます。
しかし、こうした至福の中にも人生の翳(かげ)りが秘やかにしのび寄ってきます。
退位した父桐壷院の崩御。光源氏の兄である新帝の即位のよる生母弘徽殿(こきでん)勢力の抬頭。桐壷帝の后であり光源氏の継母に当たる藤壷の宮との一夜の交情によって生まれた御子の東宮への擁立問題。さらには触れてはならない兄帝の後宮の女御朧月夜の君との道ならぬ交情――光源氏をとりまく政治状況は日ましに厳しさを加えてきます。すべてが露顕して罪を受ける恐れ、そしてそれが東宮擁立に暗い陰になることへの不安――光源氏はすべての官職を返上し都をも離れて隠栖(いんせい)の道を選ぶことを決意します。光源氏二十六歳の春から秋にかけてのことでした。