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マゼラン海峡を通過中に、会社から「建川丸の派遣は出来なくなった」という船長宛の親展電報が入ってきていたので、燃料はどうなるのかナーと思いながら九月十一日バルパライソに入港した。建川丸は海軍に徴用され、ハワイ攻撃隊の給油につき、十九年五月あ号作戦中に被雷沈没した。

 

綿花を集荷して帰途につく

 

このころには、中南米産出の重要鉱物資源は米英両国の徹底した買い占めで輸入できなくなっていたので、綿花を集荷して帰途に就くことになった。

また、社船照川丸がバルパライソに向かっているということで、どのような事情かは分からないが大変だナーという思いと驚きは隠せなかった。

心配していた燃料も当港と太平洋横断の分はエクアドルのソリトス油田で、チリ海軍用の軽油の補給を受けられることになっていて解決していた。

各港に収容した外交書類の事故防止のため、来船していた書記官もチリのカルデラでシルクストア周りを綿花で固め、盗難の心配がなくなったためお別れした。

チリ、ペルー、エクアドルの十数港で綿花を満載したが、ペルーのモレンドでは、座礁して自力航行が出来なくなっていた有馬丸を内地まで曳航するため崎戸丸が九月二十五日に入港してきた。

エクアドルのマンタで綿花を積み、十月十日南米をあとにして帰途に就いたが、崎戸丸も有馬丸を曳航してカヤオを出港したという無線通信を傍受した。

十一月十三日、ハワイ南方二百マイルのところでボイラートラブルを起こし十五日まで漂流したが、十一月二十日未明に野島崎に達したとき、もやの中から有馬丸を曳航した崎戸丸も現れた。

東京湾は防潜網が敷かれる臨戦態勢で、警備艇の「我に続けの発光信号」で湾内に入り、崎戸丸は館山沖を、本船は浦賀沖を経て横浜大桟橋に着埠したが、一隻また一隻と手を振り帽子を振り、ハワイ攻撃に向かう潜水艦を見送った。

 

あとがき

 

タイムズ紙が「大西洋をさ迷うマルシップ」と報じた大西洋上に取り残された日本船も「のるほうく丸」の約六万キロ六カ月の航海をもって全船が帰国を果たした。

十二月八日の開戦時にパナマの沿岸を航行していた鳴門丸は、ノルウェー船に偽装して米国沿岸を航行、沿岸警備艦に停戦を受けること三度に及んだが、見事に乗り切って無事帰国、ハワイ南東五百マイル米領ジョンストン島近くを航行して照川丸も無事帰国し、日本船でだ捕された船は一隻もなかったが、その後米軍の攻撃を受けてほとんどの船が沈没した。

のるほうく丸の沈没は、戦地で受け取った軍事郵便で知った。十九年八月二十一日、丸亀から二千人の将兵をシンガポールで降ろしたあと、ボーキサイドを積んで帰国の途中、パラワン港を出た直後に潜水艦の攻撃を受けて轟沈した。

萩沖で転覆沈没していた聖川丸は、戦後引き揚げられて、北米航路再開の第一船として横浜から華々しく北米航路に就いている。

 

速力の単位ノット

 

洋上の距離は海里で表す。地球の経線に沿って赤道から北極までの五、四〇〇分の一の距離が一海里、一、八五二メートルである。一七世紀以来、帆船の速力はハンド・ログで測定した。ロープの先に結んだ四分円形の円弧部に重りのある板を船尾から流し、二八秒の砂時計で走り出したロープの長さを見て速力を知る器具である。ロープには約一四メートルごとに結び目を作った小さなひもを目印として取りつけた。最初は一つ、あとは順に結び目を増やした。結び目すなわちノットがいくつあるかによってその時の速力が推定された。船の速力の単位がノットと呼ばれるのはこのためである。一ノットは毎時一海里の速力をいう。航海に海里を単位として使うのは地球上での位置測定に便利だからである。(杉浦昭典著「海の昔ばなし」から)

 

 

 

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