文学散歩
海の文学への旅
第3話 万葉集
〜海のさまざまな顔〜
尾島政雄(おじままさお)
岡安孝男(おかやすたかお)画
●海に托す望郷の念
わが国最古の和歌集『万葉集』全二十巻四千五百余首は八世紀半ばに編纂され以後広く愛誦されました。平仮名の出現する前、歌の作者たちは、漢字の音と訓を利したいわゆる万葉仮名を使って、内面の感動を叙情的に伝えようとしました。
宮廷歌人の歌から始まり、歌は約一世紀を経て社会の各層に広がっていきました。人々はそれぞれの生活の場で喜怒哀楽の感性を歌に托して素直に歌いあげていったのです。
後年、和歌が一部の人だけのものとなり、次第に形骸化していったのとは違い、『万葉集』には全国各地にたくましく生きる古代人の素直な感性を、ごくごく自然に表現されている歌が多く、今もって日本人の感性の原点を読む思いで胸を熱くします。
生活の場での自然との共存――これは万葉人の血となり肉となって言葉に托し、歌となって迸(ほとば)っていったのです。
伊勢の海の沖つ白波花にもが
包みて妹が家づとにせむ
いま目の前にしている伊勢の白波が花であったのなら、妹におみやげにして包んでいきたいと歌っています。伊勢の自然の美しさが目にうかびます。
山に囲まれた大和の万葉人にとって、春の陽光に輝く伊勢・志摩の海は、まさにあこがれ地であったのでしょう。その海を目にした時の感激を出来ることならばふるさとに待つ妹(妻)と分かちあいたい――そうです、この作者は養老二年の春、天皇の行幸に従って伊勢に旅した安貴王(やすきのおおきみ)の歌ったものです。
あこがれの海に寄せる望郷の念――広がる海と絶間なく打ち寄せる波は、人々の胸に秘めた思いを思い出させます。
この感性は千二百年の時を超えて私たちの胸にも迫ってきます。そうした時、万葉の歌は今まで以上に身近かに聴えるのです。
●柿本人麿の愛
海での船遊びはまた大和の人にとっては楽しいことのひとつでした。壬申(じんしん)の乱を経て、夫天武天皇のあと帝位についた持統女帝は、持統六年(六九二)の春、大勢の女官を引きつれて伊勢・志摩に行幸しました。