父を想う
漁船海難遺児の作文から
父親を亡くした子供たちは、悲しみを乗り越えて健気(けなげ)に毎日を送っている。父親の思い出のある子供、ほとんど記憶にない子供の違いはあっても、それぞれに父親の面影を心の中に大切にしながら、明るく、たくましく生きていることに安どを覚える。
だが、このような子供たちをこれ以上増やさないためにも海難防止に一層の努力が必要である。
関係者に海難防止へのさらなる認識と努力を願いながら二人の漁船海難遺児の作文を紹介する。
(漁船海難遺児育英会の育英会だよりから抜粋)
お父さんへの手紙
小学校六年 松本愛香(まつもとあいか)
お父さんが亡くなって六年が過ぎました。お父さん、私は、もう十二歳になりました。健太は九歳、生まれて五カ月だった翔太も今は六歳、この四月には小学校に入学します。小学校に入学してすぐお父さんに「絶対途中でなげだすな !」と言われて始めた剣道、今でもがんばっています。小学校五年、六年と二年続けて近畿大会に出場することもできました。
私は四月から中学生になります。中学校では小学校でなかった英語や技術家庭などいろいろあるようです。私の入学する中学校は四つの小学校から集まってくるので知らない人もたくさんいるだろうし、少し不安もあります。
でも、友達をたくさんつくって勉強、部活をいっしょうけんめいがんばりたいと思います。
毎日、夜空で、一番明るく、一番大きくかがやいている一番星、
「お父さんはここにいるよ。」
「いつもここから見ているよ」と言っているように見えます。
お父さんがいなくなって悲しい時、つらい時、さみしい時、不安もいっぱいあるけれど、それをのりこえて、がんばっていきたいと思います。天国にいるお父さん、これからも私たちを見守ってくださいね。
父へのメッセージ
高等学校三年
濱野明美(はまのあけみ)
ある日の朝、「おはよう」と私に言った父は、私たちの前から姿を消した。まだちょっぴり信じられない。でも起こったことは嘘じゃない。
そろそろ受け止めようか。父の帰りを待っていた私たちのもとに来たのは、父ではなく「海に落ちた」という知らせだった。胸はしめつけられ、張り裂けそうだった。夜になり、事の重大さに気付かされた。もう父は戻ってこない。普通の家庭に恐怖が訪れた。何度も夢だと思いたかった。
友達にどんな顔して会ったらいいか、私は分からなかった。変に気を使われるのは嫌だったが、友達は普通だった。学校に行くと、一人の男子が「なんだ元気じゃん」と言った。その言葉がなぜか苦しくて今でもハッキリと覚えている。
あのころの私が嫌いだったもの。父の日、友達の父の話、母の涙。今でも、母の涙だけは苦手だ。父がいなくなって、母は気が付くと泣いていた。その姿を見るのは悲しくて、見ないふりをしたものだ。
祖母はその後よく「運命だから」と、自分を説得するように言った。しかし私は、父はどこかに生きている、いつか戻ってくるという思いを心の奥に置いていた。それは誰もが思っていたことなのかもしれない。