[甲板員の話]
船長は泳げない私に防舷物を身に着けさせた。漂流開始後、最年長(61歳)の機関長はすぐに衰弱し始め「腹が痛い。船内に水と薬がある。潜って取ってきてくれ」と訴え、私が潜ろうとしたが、船長が押しとどめた。そのうちに船長が「今、お前から携帯電話を借りて電話をかけたろう。救援はまだか」と口走り、私も「今貸したやつですね」と答え、ハッとわれに返るというとこもあった。また船長は「船は沈まない。助けも来る」と励ましてくれたので恐怖は感じなかった。「家族同然なので、三人一緒なら頑張れる」と思った。
(北海道新聞の記事などから引用)
小型船海難の状況
例えば、漁船の転覆だけみても、平成十年は七九隻で、このうちに一〇トン未満の小型漁船は七四隻となっています。
また、今年の一月二十日八丈島沖で発生した漁船新生丸の事故では、衝突した一方の外国船が全く通報をせずに現場を離れたことも捜索を遅らせた一因となっています。最近は少なくなったようにみられますが、自動車のひき逃げと同類の悪質な小型船への当て逃げも散見されます。
前記の第73長生丸については、長時間の漂流の後に幸い三人は救助されたものの、最年長の機関長は病院まで運ばれながらも懸命の治療のかいもなく亡くなってしまいました。
もう少し救助が早ければ……三人ともに生還の喜びを分かち合ったものと、残念、痛恨の極みです。
なお、第73長生丸遭難時は、北海道特有の「時化」の中でも「濃霧」が発生するという、捜索側からみれば最も悪い気象条件下にあったとのことであり、また、第73長生丸船長が「位置」まで知らせたといっているが、それを受けた第78長生丸では「位置」という言葉の後は通信が途切れたので位置は分からず、自船の位置から第73長生丸の位置を推測して陸上に知らせたとのことで、遭難位置は相当不確実なものであったと思われ、これらのことが重なって捜索発見を困難にしたものと思われます。
ここで目を転じて、漁船からの海中転落事故についてみてみると、平成十年には一〇一人が海中転落し、このうち九〇人もの多くの人が死亡・行方不明になっています。
小型漁船の海難では「入港遅延」「無人船の発見」「定時連絡なし」などの事故後相当の時間を経過してからの調査確認、捜索開始というパターンが多いと考えられます。
一瞬の転覆、当て逃げ被害、海中転落などでは、全く連絡するすべもなく、海難の事実の判明は相当遅れたものとなってしまいます。
また、捜索を開始するにしても遭難位置が明確でないという捜索上の困難性を生じさせることになってしまいます。