救命衣着用問題を考える
―陸と海の対称性について―
東京水産大学 助教授 宮澤晴彦(みやざわはるひこ)
はじめに
筆者は平成十年の「海と安全」十一月号で、漁業者参加による「安全対策の運動化」を提起し、それを進める上での留意点を述べさせていただいた。その際、地域の実情に即した安全対策を、下からの運動として組織的に展開することの必要性を強調したのだが、それは裏返していうならば、上からの安全対策に関する対応の不十分性を示唆するものでもあった。そして、先般の道路交通安全対策における「チャイルドシート着用義務化」の報道に接し、そのとき示唆したことが間違いではなかったとの思いを一層深くした。陸に比べて海は、やはり対応が立ち後れているのだと !
ところで、漁船の安全対策の中で、全国共通の最重要課題とされているのが救命衣(予め断っておくが“救命胴衣”ではない)の着用問題である。しかし、救命衣着用の必要性が以前から繰り返し強調されているにもかかわらず、依然として漁業者の着用率は低い。
また、それに伴い、尊い人命が失われる重大事故も、毎年高水準で発生し続けている。そして、かかる状況が継続していることの背景に、“救命衣着用を推進すべき対応の立ち後れがあるのではないか”と感じているのである。
以上の認識に立って、ここでは漁業者の救命衣着用問題について、陸と海を対比させつつ、改めて考えてみたいと思う。その際、焦点となるのは、この問題に関する対応のあり方である。「勇み足」になる可能性も大いにあるが、人命に関わる重要問題である故に、爪先立ちを自覚しつつあえてこの点について踏み込んでみたい。
“チャイルドシート着用義務化”をめぐって
まずは陸に目を向けてみよう。チャイルドシートの着用を法律で義務づけたことについては、概略次のような背景事情があった。
警察統計によれば、交通事故死者数は一九九三年の一〇、九四二人から一九九八年の九、二一一人へと、毎年徐々に減少している(ただし、この数値は事故後二時間以内の死亡者数)。しかし、一方で近年自動車乗車中の子供の死傷者数が大きく増加しており(一九九七年のそれは八、八○八人で九三年の実に一・四五倍)、このことが重大な問題として認識されていた。
しかも、事故の内容を分析した結果、チャイルドシート非着用の場合、重傷事故となる確率が著しく高まることが明らかとされた。今年六月に発表された、交通事故総合分析センターの『チャイルドシートの着用効果に関する調査研究』は、チャイルドシート着用者と非着用者の事故遭遇時における致死率、重傷率の違いを数値によって示している。結果は表1の通りであるが、これによるとチャイルドシート着用者の致死率は○・〇五%であるのに対して、非着用者のそれは○・二一%と約四・五倍となっている(重傷率は約二・六倍)。
また、非着用者の割合が圧倒的に高いことからもわかるように、現状ではチャイルドシートの使用率が非常に低く、そのために子供の死傷者数が増えていることが明確になった。
こうした調査結果によって、子供の命を守るためにチャイルドシートが有効かつ不可欠なものであることがはっきりしたわけだが、注目したいのは、調査結果が出てから直ちにチャイルドシート着用を義務づける法制化の手続きがとられたことである。
周知のように、チャイルドシートは結構高価であるし、子供の成長に合わせて買い換える必要もある。それ故、義務化の背後には「奨励策のみでは普及しない。したがって子供の命を守れない。」という確固たる人命重視の判断があったものと考えられる。