文学散歩
海の文学への旅
第2話 古事記
〜倭建命〜
尾島政雄(おじままさお)
岡安孝男(おかやすたかお)画
弟橘比売の献身
さねさし相武(さがむ)の小野(おの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
九八年九月、インド・ニューデリの国際児童図書評議会世界大会で、美智子皇后は少女時代の本との出会いについて基調講演(ビデオ)をされ聴衆に感動を与えました。この講演で引用された『古事記』中の一首の歌がこれです。
「あの時、迫りくる燃えさかる火の中で、私の安否を気遣ってくださった君のやさしさよ」とうたったのは倭建(やまとたける)の后弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)です。
『古事記』中巻の倭建の東国遠征の項はロマン豊かな『古事記』の物語りの中でも胸をうつハイライト中のハイライトです。
父景行天皇の命により東国の反乱軍の征討に向かった倭建軍は、途中反乱軍の放った火に囲まれかろうじて逃がれ、九死に一生を得てさらに東征をつづけます。
相模湾に到着。海を横断して三浦・房総方面に向かおうとすると、
ここにその暴波(あらなみ)自らなぎて、御船得進みき。ここにその后歌日(うた)ひたまはく、と『古事記』はドラマチックに伝え、さきの歌を謳いあげます。弟橘はいよいよ入水の瞬間、さきに火に囲まれた際倭建が自分に対して気遣ってくださったことに愛と感謝をこめてわが身を犠牲にして倭建の征討の成功を祈るのです。
美智子皇后はこう語られます。
「いけにえという酷(むご)い運命を、進んで自ら受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、………
(略)今思うと、それは愛というものが、時として過酷な形をとるものなのかも知れないという、やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への恐れであり、畏怖(いふ)であったように思います。」
一方で、私はこの物語りで「海」の存在を意識せざるを得ません。時には荒れ狂う波浪もやさしい心根を受け入れて静かに収っていくという海の包容力の大きさ、古代人たちは海に対して限りない畏れと、何事をも受け入れてくれる無限の慈しみとを感じていたのではないでしょうか。ふと、明治四十三年一月同じ相模湾で起きたボート遭難事故を思います。