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少なくとも流出量については切り去られた第三章に記述されていたに違いないのだ。

「そうか!」

私はあることに気付いた。当時、海軍艦船用の燃料重油は、箱崎をはじめ呉、佐世保など全国に分散備蓄されていたことであろう。だが海軍にとって箱崎は、帝都防衛のための最重要補給基地であったことに間違いない。その箱崎の基地が全滅したかもしれないのである。しかも艦船、兵員に対しても甚大な被害が生じていた。航空軍事力が未発達であった当時、帝都防衛の要である海上軍事力が、振って沸いた天災により著しい低下を招いたのである。世界に名だたる帝国海軍連合艦隊も、燃料の重油が無ければただの鉄桶(おけ)の集合体である。

そういえば東京湾内三個所に明治中後期にかけて建設された要塞(ようさい)、第一、第二及び第三海堡(かいほ)もこの震災によって壊滅的な打撃を受けたと聞いたことがある。東京湾に侵入せんとする敵艦を迎え撃つための巨大砲を備えた三大要塞が壊滅した。また、艦船用の燃料もそのすべてを失った。正に帝都は軍事的にほとんど丸裸の状態となっていたのである。

この実態が列強諸国に知れわたり、万が一にもそれに乗じて帝都を攻められでもしたら……。海軍の被災状況を取りまとめた軍幹部は愕然(がくぜん)としたに違いない。箱崎の被害を含め、この事実は超A級の国家機密であったはずだ。機密文書として関係者のみに回覧された後、軍務局長は躊躇(ちゅうちょ)せず生々しい被害状況の記述部分を切り取りその場で焼却したに違いない。当たらずと言えども遠からずであろう。

 

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最近の第三海堡

 

震災の前年の大正十一年、ワシントン軍縮会議で海軍軍縮条約が調印されている。第一次世界大戦の結果、列強国中心のかつての軍事バランスが崩れ、新たな軍備拡張競争が始まっていた。長年にわたり海の王者として君臨し続けた大英帝国、抜群の経済力を基盤とし英国に迫る勢いの米国、そして極東の新たな支配者である日本、どの国も海軍力において優位に立つことを何よりも願っていた。

第一次世界大戦後、欧米諸国は、抜群の海軍力にものを言わせ極東海域での進出が著しい「日本」に底知れぬ警戒心を抱いていた。彼らは国際関係の安定化と各国の財政支出緩和のためという大義名分を掲げ、日本に海軍力の軍縮を呼びかけた。日本に奪われた利権の回復を願う中国もそれに同調した。

日本は国際世論に押し切られた形で海軍軍縮条約に調印した。その結果、一万トン以上の海軍主力艦の保有割合は、英国及び米国がそれぞれ五に対し、日本は三となった。軍縮条約によってもぎ取られた海軍力が、震災によって追い討ちをかけるように衰退したのであった。

「さて、これから先どうしたらよいものか」私は悩んだ。規模はともかく、日本海難防止協会の報告書の一文に該当するであろう重油流出事故は確かに存在したのである。だが規模など、その詳細については不明である。もはやこれ以上、事実を検証する手だては無いのであろうか。

諦(あきら)めかかっていた私に天の声が囁(ささや)いたのを聞き逃さなかった。

「そうだ!当時の状況を実際に見た人を探し出して直接聞けばよい。それも『おか』の人ではだめだ。陸の惨状の後始末で手一杯だったのだから。

そう、海にゆかりのある人だ。当時、海で働いていた人だ。東京湾は彼らの庭だ。仮にその庭が重油まみれになったとしたら当然覚えているはずだ。」

私は真っ先に布袋丸船長、本庄勇の顔を思い浮かべた。

―続く―

 

 

 

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