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結論から言う。「関東大震災での東京湾における重油十万トン流出の話を聞いたことがあるか」の問いに肯(うなず)く者は誰一人いなかった。

海上災害防止センターのS防災部長は少々興奮した口調でこう言った。

「えっ本当ですか!それはなかなか面白い話ですね。初耳です。事実関係を徹底的に調ベレポートして下さい。お願いしますよ、絶対ですよ」

わが国を代表する油防除専門家の言葉である。私は使命感を感じずにはいられなかった。

油濁研究所のM所長のところには、古今東西、油汚染に関するあらゆる資料が蓄えられていることで有名である。M所長は当時の記憶を辿りながらゆっくりと口を開いた。

「……たしかその委員会には、当時、私自身も石油連盟の身分で何度か参加したかと記憶しています。関東大震災での重油十万トン流出ねぇ……。そう言えば委員の誰かがそんな話をしていたような気がするなぁ。誰だったのかなぁ。うーん……」

M所長は電話口ですっかり考え込んでしまった。私にはその沈黙がとても長く感じられた。

「……なにぶん三十年も前の話だからどうしても思い出せません。申し訳ない、せっかくお尋ねいただいたのにお役に立てずに」

報告書の巻頭をめくってみた。この報告書をまとめた当時の学識経験者や関係官庁職員の名前が列挙されている。錚錚(そうそう)たるメンバーである。このうちの誰かが覚えていてくれたらよいのだが。

現在S財団の理事を務めるM博士は当時現役の東京大学の教授、委員の一人であった。

「うーん……。そう言われてみると、委員のうちの誰かがそんな発言をし、報告書にその旨をしたためた記憶が微かにあるな……。

その当時、日本では海洋汚染防止に関する調査研究は始まったばかりだ。『へー過去にそんな事故があったのか』そのぐらいの興味しか誰もが示さなかったのだろうな。

申し訳ないけど、これ以上の詳しい記憶は残っていませんねぇ」

M博士は当時を懐かしむようにそう答えた。

F先生は高等商船学校を卒業後、創設されたばかりの海上保安庁に入庁、その後警備救難部長や海上保安大学校校長を歴任され、十七年前に現役を退かれた。その著書「海難防止論」や「新海難論」は海上防災に関する最も著名な文献の一つとしてあまりにも有名である。

報告書の関係官庁職員の欄にそのF先生の名前を見つけた。F先生は当時、本庁航行安全課の補佐官としてこの委員会のメンバーに名を連ねていた。

電話口のF先生が開口一番言った。

「実は私も、関東震災当時の海の状況について調べてみたことがあります」

F先生のこの一言に私は内心ほっとした。結末が思いのほか簡単に訪れたと思ったからであった。

「えっ、そうなんですか!」

私は机の隅のメモ帳を慌てて手元に引き寄せた。

「いえいえ、重油流出の話ではありません」

「えっ?」

「私は常日頃、『災害時に船舶をもっと有効活用すべきだ』と主張しておりましてね。どうやら、関東大震災当時も艦船を利用した被災者の救援活動が行われていたようなので、図書館通いをしていろいろ調べてみたのですよ。ですが重油流出の話には行き当たらなかったなぁ。うーん初耳だ……。

当時、その委員会には確かに私も出席していましたよ。ですが、多分その話は『危険円部会』の席上出たのでしょう。私は『運航部会』に出ておりまして直接は聞いておりません。

ところでご存知のとおり、私は『海難防止論』や『新海難論』を執筆しました。無論、かなりの資料を集めましたよ。ですが、東京湾の大量重油流出の話は知らなかったなぁ」と静かな口調でF先生は答えた。

私は胸一杯に膨らみきった期待感が、日の経った風船のように萎(しぼ)むのを実感せずにはいられなかった。

運輸省は当時、大臣官房開発課がこの委員会を担当していた。当時のH課長はその後運輸省を退職し、今や国会議員として活躍されている。

 

 

 

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